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2005年 10月 30日

テオ・アンゲロプロス『こうのとり、たちずさんで』1991

投稿者 by tak@taknews.net at 15:48 / カテゴリ: 07キマネ旬報(映画評論) / コメント (1) / トラックバック (0)

テオ・アンゲロプロス全集 I~IV DVD-BOX II


テオ・アンゲロプロス全集 I~IV DVD-BOX II
(今回はストーリーに沿って書いていないのでネタバレはほとんどなし)

 私たちの想像する「ギリシア」とはどのような姿だろう。ハレーションを起こしそうなくらいに白い壁の家々、からっと晴れ渡る青い空、オリーブの実。古代ギリシアのイメージも相まって、地中海気候で暖かい「海洋」国家というイメージではないだろうか。しかし、それがすべてではない。実際には多民族国家であり、凍てつく冬が訪れる北部の国境線は海ではなく4つの国、それも東欧諸国と隣接している。

 この映画は、そのギリシア北部が舞台だ。難民申請者が待機する国境の街、通称「待合室」が舞台となる。取材に来たジャーナリスト、アレクサンドロス(ちなみに『霧の中の風景』の弟もアレクサンドロス)は難民たちの中に失踪した大物政治家らしき人物を見つける。アレクサンドロスは彼の正体を確かめる過程で「越境」について考えあぐねるのだ。

 橋の真ん中にペンキで線が引かれただけの国境。国境は越えたが、足止めを食う難民たち。国外に生まれたため、民族の証として腕にナイフの傷跡があるギリシア人青年。国境で引き裂かれる民族。そしてすべてを捨て去り旅にでた大物政治家。

 時代は東西の緊張関係が急激に解かれ始め、世界が平和に向かうという考えが蔓延していた時代。「グローバライゼーション」「世界市民」なる言葉が闊歩しだす時代。そんな時代に浮ついて表面上の越境に終始し、物理的越境に過ぎないものから「縮まる世界」を声高らかにうたう者たち。

 一方で映画の世界では「大物政治家」が失踪前に「世紀末の憂鬱」というベストセラーを出している。その対比は決してシニカルなものではない。ただの無根拠に不安を醸成する世紀末思想でもない。東西の緊張関係が急激に解かれ始め、先述の世界が安定的になるのではないかという過度な楽観主義に安住する者たちへの憂鬱と、表面上の(偽りの)「越境」でインターナショナルだとかグローバルだということの偽りに気づいた憂鬱を抱きしめるしかなかったのだ。

 ラストシーンは電柱にラインマンがのぼり、電線を琴線の如くピンと張っていく。ただ川岸に立ち尽くすアレクサンドロス。対岸=隣国にあるカメラは徐々に引いて全景を映し出していく。電柱に登っても川岸で立ち尽くしても「越境」はできない。物理的にさえできない。況や真の「越境」は言わずもがな。しかしその認識がスタートとなりうるのではないか。最後に曇天は流れ、少しばかり青空が見えるではないか。浮かれる時代に絶望を感じることが始まりなのだ。

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投稿者 by: hermes white at 2014年2月22日 10:10
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