過去の記事
カテゴリ
リンクとトラバについて
記事を検索


Links
その他
Powered by
Movable Type 4.261

2005年 2月 06日

とりあえず無題

投稿者 by tak@taknews.net at 11:13 / カテゴリ: 08長い文章 / コメント (2) / トラックバック (0)

 ほんとはもっともっと先に某所に載せなきゃあかんかったのですが、いい加減に変えたら、自分の心から離れて前に進むことも後ろに戻ることもできなくなった(汗 とりあえず見た目とかも考えるためにここにアップ。
 もちろんこれもクリエイティブコモンズライセンス適用で。ただ誤字脱字以外のところも手を加える可能性大です。


----------------------------------------------------------------
●1st Chapter イントロダクション〜Loop〜
 今日も変わらない一日だった。毎日そのように感じている人は結構いるのではないだろうか。そういう私も、毎日のようにそう感じている。しかしこれから紹介するA君の生活は、本当に変化を感じない。実際にA君に生活をな

 「そうですねー最近はかなりましになってきましたが、昔は本当に寝るのみでした。動く元気もなくて。薬が効いているおかげもありますね。それでもそれでも基本的には家の中での生活ばっかしですね。こんな生活になってから1年半くらいたちました。」

 そんなA君にさらに詳しく、一日の過ごし方を聞いてみた。

 「え〜っと、朝起きたときから話しますと、起きるのはだいたい昼前ですね。起きたら『笑っていいとも』放送しているくらいですかね。それから下に降りてご飯食べる。そしてまた自分お部屋に戻って寝っこるがるかパソコン。日も暮れて夕ご飯。それからお風呂入れば9時を回ってることが多いかな。
 それからはネットばかりですね。チャットとか2chとか。意味もなくネットサーフィンとか。そのうちに2時とか3時になって寝る。そんな毎日がずっと続いていくだけですね。そして何か・・・焦燥感だけが募っていくんですよ。こんな生活でいいのか、って。そして世間の目もやっぱり怖い。『あそこの子は外に出ない』とかって噂されてないかなぁ、ってしょっちゅう思っていくうちに一日一日が過ぎていきますね。」

 
 A君はこのように毎日同じような生活をしている。単調で抑揚のない毎日を、いつまでもいつまでも過ごしていくように思えてならないでいる。それがまた彼を苦しめ、余計に外にでられないようにしていく。A君は永遠に続くループをいつも感じているのだ。「外の世界」とのぎりぎりの接点はインターネットと通院だけの生活を続けながら。

 しかしA君は「精神疾患」を煩っている人の ほんの一例に過ぎない。中には長い間ベッドから起き上がれないでいる人もいる。自分の部屋から一歩も出られない人もいる。症状は人それぞれだ。しかし確実な事実として、多くの若者が気分が上向かずに長期間ほとんど自宅のみで過ごしているということが言える。そんな彼らをインターネットのウェブサイトやBBS、さらには実際に会ってみることを通して「精神疾患」を患っているとされた彼ら・彼女らの内情を少しでも垣間みていくことにする。

 なお対象となる方々は若年層の「精神疾患」だと診断された人たちであるが、その病状は様々である。しかし実際に直接顔を合わせた人たちは外に出る元気を持っている。つまり小康状態を保っている方々だ。
 また「精神疾患」という重いイメージの付きまとう用語は必ずしも適切ではないと考えている。そこで、より軽いイメージを醸しだしつつ「精神疾患」の人たちも使っている「メンヘル系」(メンタルヘルス系の略)「メンヘラー」(造語 精神疾患者の意)という言葉を以降使うことにする。


●2nd Chapter インターネット〜Another World〜
 まずはネット上でのメンヘラーたちの実情から見ていくことにしよう。始めに断っておくと本来なら具体的にURLを載せて実際のウェブサイトを見て頂けるようにするべきであろう。しかし多くのウェブサイトがリンクフリーを銘打っていないことと、メンヘラーである管理人への配慮も考え、ここでURLは載せないことにする。興味がある方はサーチエンジン等を通して探して欲しい。。

 ネットでは大きく分けてウェブサイトとBBSでのコミュニケーションが成り立っている。簡単に両者を説明しよう。ウェブサイトとは管理者がいて、その人が作ったページをまとめたものである。日本では「ホームページ」とよく言われているものだ。BBSはネット上の掲示板である。少年事件が起こればほぼ毎回メディアに取り上げられる2ちゃんねるがその代表格であるが、それ以外にも無数のBBSが存在する。以上のように二つに分けて考えよう。
 まずウェブサイトからみていこう。100個以上のウェブサイトを閲覧してきて気づいたことがいくつかある。第一に、そのつくりが非常に凝っていることだ。音楽が自動的に鳴り出したり、自作の詩を披露したりなどかなり手がこんでいる。詩のような創作活動は時間がかかる作業だ。音楽を流す仕組みもウェブサイト作成支援ソフトが発達したとはいえ、少々知識がいる
 
 ここで、なぜそこまで労力をかけてウェブサイト作成に力を注ぐのであろうか、という疑問が沸いてくる。裏を返せば相当の労力と時間をウェブサイトに注ぎ込んでいる理由があるように感じられる。それを考える上で外せない着眼点はウェブサイトの性質だ。ウェブサイトは不特定多数に広く開かれている。つまり誰でも自分のサイトにアクセスしてきてくれる可能性がある。そのような前提がわかった上でウェブサイト作成に相当量の力を注ぎ込むことは、意図的に自分の作成しているものを広く共有したいという欲求からくるものであろう。
 もう一つ気づいた点としてはリストカットなどの自傷を取り扱うものの割合が非常に高いことだ。メンヘル系サイトは大きく分けて「今は思い悩んでいるけどこれからいかに楽に生きていこうか」という生きる道を模索していく内容と「もうこの世なんていや。早く楽に死にたい」という死ぬ道を探索する二つに分けることができる。これらのサイト数の割合は圧倒的に死を志向するものが多かった。
 ここで実際にメンへらーは「死を志向する」人が多いのかデータを見て検討しよう。一般的にリストカットなどの自傷癖がある人は、人格障害と診断を受けている場合が多い。確かに厚生労働省の発表している精神病院の推計患者数(http://wwwdbtk.mhlw.go.jp/toukei/data/150/2002/toukeihyou/0004439/t0091894/j58_001.html)をみれば人格障害が含まれる「精神分裂病,分裂病型障害及び妄想性障害」の患者数、同じく鬱病が含まれる「気分[感情]障害(躁うつ病を含む)」のそれと比べてみると入院患者数で約10倍、外来患者で約2.5倍多い結果となっている。よって人格障害の一種をわずらっていると考えられる自傷癖のある人のウェブサイトが多いのは頷けるように思える。しかし実際に自傷癖のある人は<精神分裂病,分裂病型障害及び妄想性障害の中でも境界性人格障害などの感情の混乱が激しいタイプの症状を持つ一部の若い未婚の女性がほとんどである>というところまで絞られるのだ。その事実に鑑みると、正確な比はわからないにしても「生」を志向するウェブサイトと「死」を志向するウェブサイトの数は拮抗してもいいように思われる。だが私が調査した限りは、メンヘラーが管理人となり運営されているサイトは死を志向しているものが多かった。
 いや、そんな簡単な「生―死二分法」的な分類で大丈夫だろうか。今一度冷静に考えてみよう。死を志向するウェブサイトの自傷系管理人は、果たして本当に「死」を志向しているのだろうか。まず先にも書いたとおり彼女たち(メンヘル系サイト管理人は圧倒的に女性が多い)は注目してもらいたいがためにウェブサイトを作っていると考えられる。本当に死を志向するなら、そもそも相当量の時間と労力をウェブサイト作成に費やす必要はない。「死」に意味を求め「現世」で必死になっているという矛盾した志向だ。厳しい言い方をすれば、本当に死にたければ別に何もせず死ねばいい、という意見もあろう。(後述するが)突発的な感情のはけ口とするなら、その機能を十分保持しているBBSの数は十分に出揃っている。。
 しかし彼女たちはウェブサイト作成を選んだ。これが意味することは彼女たちは「生」の手段として、ウェブサイト作成に力を入れているのではなかろうか。自己存在の確認の一時的な手段として行うリストカットと代替としてウェブサイトが使われているのではないだろうか。開かれたネットの世界に対して自分を表現していくことによって、一般社会ではなしえなかった自己をネットの世界の中で明確化していく行為なのであろう。また悩みは何かに集中すれば一時的な忘却することができる。部屋の中で一人で集中して出きる素材としてのウェブサイト製作の意味もあろう。
 なおこれらの自傷系ウェブサイトはリストカットをした部位の生々しい写真が載せてあることがよくある。興味を持ちそのようなウェブサイトを閲覧するときは(特に血が苦手な方は)十分注意していただきたい。

 BBSに話を移そう。メンヘル系BBSは大きく分けて巨大掲示板2ちゃんねるのメンタルヘルス板(http://life6.2ch.net/utu/)を代表とする管理人がいない形のものと、管理人のいるBBS(基本的にウェブサイトに隣接して設置)に分かれる。まずは管理人のいるBBSから考察する。管理人のいるBBSの内容は一言で言い表すなら「書きなぐり」型だ。ほとんどすべてのBBSで投稿の流れというものがない。明らかに思いつきやそのときに考えていた他愛のないことを書いたり、自殺衝動や腹立たしいことなどの衝動的感情を書きなぐったものであった。よく見る書き込みは「死にたい」「もう嫌だ」「生きていくのが嫌になりました」などの短文書きなぐりのものだ。中には管理人が励ましを書いているBBSも存在するが、多くはほとんど放置されて書きなぐる場となっていた。このように流れがないBBSであるためか、アクセス数の延びの割りには書き込みが少ないウェブサイトが多い。例えばアクセスカウンターが3万件を超えているにも関わらず、BBSの書き込みは10件しかないウェブサイトもあった。。しかも、書き込み内訳は1件が管理人自身の挨拶、2件が事務連絡、そして残りはレスのつかない書きなぐり型の衝動を吐き出したものであった。
 管理人がいないBBSに話題を移そう。これを語る上で絶対にはずせないのが2ちゃんねるであろう。しかしあまりに内容が多岐に渡り、性質上メンヘラー以外も多数存在し、メンヘル板特有の現象は見受けられなかった。2ちゃんねるのメンヘル板について語ることは2ちゃんねるについて語ることとほぼ同義となり、今回の趣旨からは外れるので割愛する。たった一つの例外としてコテハン(固定ハンドルネーム)使用率、さらにはトリップ(*1)使用率が他の板に比べて高めなことが挙げられた。これは先述のウェブサイトに見られた自己を一般社会の変わりにネットの世界で明確化していく行為と同様なものだと考えられる。
 
 他には自殺志願系BBSもある。最近、ネット心中をした仲間同士に自殺幇助罪摘要やプロバイダ規正法制定があってか、自殺志願BBSは昔に比べ大幅に減少しているように思われる。またBBSの実際の書き込み数がほとんどないものも多く、定期的に見ていたBBSで活発な書き込みがあったところは2つだけだった。そのうちの1つは毎日少なくとも2件は自殺してくれる「仲間」を募集する書き込みがあった。その多くの人がメールアドレスを載せて「仲間」の連絡を待っていた。よくある書き込みパターンは以下のようなものだ。
 誰か一緒に逝きませんか。
 本気です。
 練炭用意しますので車用意できる方。
 xxx@xxx.xxxx

 多くはフリーメールないし携帯電話のメールアドレスを連絡手段としていたが、携帯電話の番号をそのまま載せる人も一週間に一人くらいはいた。ちなみに、その中の何人かと連絡を取ろうとメールを送ることも試みた。大体1通目の返信が来る確率は5割くらいだった。その内容もかなり簡潔で「本気ですか?」やそれに類する言葉のみであることが多かった。次にこちらから返信をしたあとの2通目の返信をもらえる確率は ほぼ皆無であった。始めか自分が男であることを標榜したせいもあってか、反応は拍子抜けするものであった。
 またBBSをその後もチェックしていても、その自殺志願者がまた書き込むことはめったになかった。そのことから考えて、基本的に自殺志願をBBSに書く人は突発的な自殺衝動に苛まれて殴り書きのように書き込んだが、その書き込みへの返事が来る頃には冷めてしまっていることが多いのではないかと推察できる。その書き込みが一瞬の自殺衝動を外へ昇華させるすべてなっているのであれば例え「裏切られた」書き込みばかりであってもこのようなBBS存在意義は非常に高いといえよう。また年間自殺者数が三万人を超える日本で、ネット心中はまだまだごく少数であることを忘れてはならない。マスメディアを賑わす練炭自殺も全自殺の0.1%ほどに過ぎないのである。

●3rd Chapter 精神医療の問題〜Lack〜
 ここからは実際に十人を超えるメンヘラーに会い、共に過ごしたり話をしてきた中で得た経験をバックグランドとして、精神医療のあり方やメンヘラーの今後を考察していくこととする。なお今回会ったメンヘラーは全員が初対面であり、私自身も一人のメンヘラーとなりすますことによって、彼らの中に加わっていくことを基本スタンスとした。
 
 まずは精神科医による病名判断から考えていくことにする。20代後半の男性・Bさんは初診時に10分ほど医師と会話をしたら、アスぺルガー症候群だといわれたそうだ。彼が言うには「別に普通に会話をできていたつもり」とのこと。なおアスペルガー症候群とは一般的には知的障害がない自閉症、と言われている。最近では自閉症が差別用語だという指摘もあり、広汎性発達障害とも呼ばれている。今回のアスペルガー症候群と診断した医師は、知能レベルでは全く問題が見られない一人の男性は自閉していると10分で決められたことになる。私はアスペルガーと診断された彼と「10分以上」話をしたが素人感ながら全く自閉しているとは思えなかった。むしろ他のメンヘラーより気さくなぐらいにさえ思えた。
 10分診断の話に戻そう。10分という非常に限られた時間の間では医師と患者の間に信頼関係が生まれているかどうかも疑わしい。このような極めて短い時間で病名まで「確定」できるということは、単純に話を聞きながらDSM-IV(*2)やICD10(*3)を元にフローチャートに近い形で病名を「決定」したと考えられる。それは本来、その病の原因となっていると考えられる内面の問題を一切無視して病を決めてしまうという本末転倒の所業だ、という意見もありえよう。少なくとも私には、このような診断方法でいいのだろうか、これで真の根本的な治療は行われるのだろうか、という強い疑念が生じてならない。またもう一つ大きな問題として、アスペルガー症候群は先天性の脳障害であるという説に付随するものがある。確定的に解明されているわけではないのだが、最近有力視されているこの説を10分診療の医師が正しいと信じていたならば、医師は患者をたった10分の問診で先天的に障害が、もっと強く言うなら遺伝子レベルで「問題」がある人間だと判断したことになる。究極の個人情報ともいわれる遺伝子レベルにまで初診10分の問診のみで言及することはかなり危険なことではないだろうか。Bさんはどこかで知っていたのだろう。Bさんの「10分で生まれつきだめなやつって言われてみたいもんかな」という言葉が痛々しい。
 なお末尾の脚注(*4)においてDSM-IVやICD10のアスペルガー症候群に対する記述を全文掲載してある。少々長いのだが精神科医がどのようなフローチャートを事前に用意して、患者のどのような点を診断して病名を判断しているのかを知ってもらうためにも全文掲載した。内面に立ち入らず機械的に診断可能でありうる点を理解していただきたい。

 しかしこのような診断がなされている理由は医師にのみに問うことはできない。精神科・心療内科は扱う病の特性上、一人の患者に費やす時間は他の科に比べて非常に長くかかる。しかし医者側にしてみれば、時間がかかればかかるほど損をする。なぜなら医師は基本的に医療保険にのっとった治療をしている、つまりは患者側に請求できる金額は医療保険により前もって定められているのだ。もちろん医療機関が後に医療保険として充填される患者自己負担分以外の金額も定まっている。ということは極論すれば診察時間が長くなれば長くなるほど損なのだ。親身になって投薬治療ではなく心の病の原因を真に追究し信頼関係を強固にして患者の内面を探ろうとしようが、マニュアルどおりに病名を「確定」させようが医師が手にするお金は同額なのだ。そうなれば経済的な観点からも医師が、一人の患者にかける時間は短くせざる終えない。当然 医師という職業は打算的な考えで動く人は適任ではない、という批判もあろう。しかし現実問題として「専門間差別」とも言うべき現状を是正することが10分診療問題の解決法の一つであることは疑いようがない。
医師・患者双方がWin-Winとなるのは難しくとも、何かしらの利得を医師にも与えるべきであろう。
 また実際に知人の若い精神科医に聞いてみたところ精神科医が医師の中で一番収入が低く大学で専攻を決めるときも人気は非常に低かったそうだ。「外科は外道」という言葉があるが今なら精神科医は論外という扱いがあるのかもしれない。また彼が言うには精神科医は医師の中では儲けが少ないが患者が自殺しない限りは他の医師より暇で休みも取れる、という理由で精神科医になる人もいるそうだ。これらのバックグランドを考えればやはり一概に医師を攻めることは難しい。
 反対に患者の側からみても経済的な問題がある。投薬治療ではなく病の原因から摘み取っていこうという精神(心理)療法は、医療保険が使えないことがままある。通院先の病院に臨床心理士がいなく、保険診療でカウンセリングができない場合はカウンセリングセンターなどで医療保険のきかないカウンセリングをすることになる。実際に複数のメンヘラーに聞いたところ値段はばらつきがあったが、大筋で一回(一時間前後)あたり五千円から一万円であった。大学のカウンセリングセンターを無料で使っている学生などを除く多くのメンヘラーはカウンセリングに非常に高額な金銭を必要としている。また実際に会ったメンヘラーは皆、定職を持っていなかった。そのような現状でカウンセリングを受けたいときに気軽に受けられるだけの財を蓄えている人はそうそういないであろう。心のよりどころとなったり、時には「駆け込み寺」にもなりうるかかりつけのカウンセラーが経済的理由により、もてないでいる現状は治療を進める上で非常に大きなマイナス要因である。

●4th Chaptr 犯罪者の精神鑑定〜Programed〜
 ここで少し視点を変えてみよう。メンヘラーはメンヘラーでも重大な犯罪に犯した(と考えられる)「メンヘラー」について考えてみよう。最近はマスコミが騒ぎ立てるセンセーショナルな単独犯による犯罪があった場合、大概精神鑑定が行わる。その後にメディアを席捲する病名はアスペルガー症候群か人格障害のどちらかだ。記憶を惹起する意味もかねて実際に鑑定された犯罪(被疑)者を挙げてみよう。アスペルガー症候群と診断されたのは豊川主婦殺害事件の当時17歳の少年・長崎市の男児誘拐殺人事件の当時12歳の少年が、、人格障害は幼女連続誘拐殺人事件の宮崎勤被告・大阪池田小児童殺傷事件の宅間守氏が代表例として挙げられる。どの事件も非常に日本社会への影響が大きかったため「アスペルガー」と「人格障害」の言葉がマスメディアを通して広く知られることとなった。そしてその二つの精神疾患は今まで「分裂病」と「鬱病」くらいしか知らなかった国民には新しい、何か危険で狂気に満ちた疾患にさえ思われた。
 しかしこの二つの精神疾患は決して新しい概念ではない。アスペルガー症候群は1944年にオーストリアでアスペルガー医師が報告するまで、人格障害にいたっては1835年にプリチャードが「道徳的狂気」の概念を持ち出すまでさかのぼる。もちろんその後、時代の変遷のなかでそれらの概念は刻一刻と変化してきているのは間違いはないのだが、少なくとも人類がこれらの症例が実際に見地できたのは決して新しくはない。これだけ前から症例があるのであればいまになって急に取り上げられること自体が不信感を抱きかねない。少なくともわざわざ犯罪の加害者に病名という「レッテル」を金太郎飴のように毎回似た内容を「貼って」いく作業には強い不信感が生じるのを禁じえない。

●5th Chapter 「レッテル」としての病名〜Deportation〜
 このようにメンヘラーや犯罪者は必要以上に精神疾患の病名を告げられている。ではなぜ彼らに病名という「レッテル」を貼る必要があるのだろうか。確かに病気であるならば適切な治療をするためにも病名という具体的な表現があれば、確実に治癒に向けての道を構想しやすい。しかしその一方、投薬治療は基本的には脳内の物質を増加させることにより神経を「操作」し症状を緩和するものであり、あくまでも対症療法に過ぎない。薬局で売られている風邪薬が風邪のウイルスを直接攻撃するわけではなく、諸症状を緩和させているだけなのと同じだ。つまり投薬のみでは根本的な治療になりえないのだ。風邪のようにに二、三日ばかり安静にしていれば自己治癒力で治る病気ではないメンヘル系の病に、わざわざ細かい病名をつける必要はあるのだろうか。
 さらに付け加えると病名をつける効果に治療法の確立を挙げたが、それもできているとは到底思えない。なぜなら実際に会ったすべてのメンヘラーの方々は投薬治療がすべて試行錯誤によって薬を決められていた。始め出されて薬が効けばそのまま使用したり量を増やす。薬の効能が低ければより強い薬を出してみる。副作用がひどければ違う傾向の薬に変える。ある程度投薬が進んだら薬を抜いていってみる。Cさんの例を出してみよう。
 
 「始めはトレドミンから飲み始めて、あんまり効かなかったかな。徐々に楽な気持ちにはなるけどそれ以上でもそれ以下でもなかったですね。副作用はちょっとのどが渇いたくらいで大してことなかった。次に飲んだのはパキシル。これはとことん眠くなったね。ただでさえ起き上がりたくないのに、もう本当に起き上がれなかった。それからはちょっと間は忘れちゃったけど基本的には喉の渇きと眠気は随時、って感じ。まあ薬が大丈夫そうだったら量を増やす。副作用が強かったら量を変える。最近でひどかったのはアナフラニール。もう食欲はなくなる、喉がとてつもなく渇く、手が勝手に小刻みに震えるとか。もうこれで死ぬかと思った。あとはいわゆる排尿困難もあたね。けどまたそれを飲まないでいると一気にダウンしちゃってまた逆戻りみたいな。そういうやり方の繰り返し。」
 
 これはCさんの例だが、同様の繰り返しをしていない人は一人も会うことはなかった。そして多かれ少なかれほとんど全員が副作用を感じたことがあった。眠気、便秘、むかつきなどがよくあるそうだ。確かに現状での投薬治療は試行錯誤で行うしか方法がないのであろうが、それでも患者側からすれば納得できないだろう。このような「手当たり次第」の投薬治療がメインである状況下で病名を決定するメリットは分類する上での便宜的な価値以外はなかなかみえてこない。
 他に考えられる原因は医療保険だ。普段の生活であまり意識することはないが、医療保険が適用されるのは病人に対してのみだ。当然といえば当然ではあるが、病気でない人が病院で診療しても保険はきかない。病気であるからこそ「医療」保険が適用されるのである。そうなると例えちょっとした精神的な不調であっても医師としては「病名」をつけて保険診療にするしか手はない。受診者側もいざ料金を払うときに十割負担を強いられたらたまったものではない。このように保険を適用するための「病名」が乱発されている事実も見受けられる。
 
 しかし問題はそれだけではない。もっと根深い問題として「切り離す」装置としての病名がある。メンヘラーたちを「一般人」たちが「一般社会」から切り離したのだ。その背景には「デオドラント」志向の「悪臭」がしてならない。自分たちの中には「変人」「悪人」は存在せず、すべて澄み切って、間違いも全くないという「安心」感を得る。その一つの方法として病名レッテルを多用し、レッテルを貼られた人たちを「一般社会」から追い出しているのではなかろうか。
 私が会ったメンヘラーたちも多かれ少なかれそのような世間の風当たりを感じているようだ。具体的には、あるメンヘラーは精神的な不調を感じて「これはひどくなる前に精神科に行った方がいい」と思ったそうだが、家族から「精神科なんかに行くならうちにいるな」と言われたそうだ。この発言が日本人の平均的な意見とは言わないが、少なからず日本社会では精神疾患に対する「精神病=狂人=一般的な人間ではない」という偏見があることは疑いようがない。また彼が精神科に行こうが行かまいが彼の本質は変わることはなく、家族共同体への影響はほぼないと考えられるのだが、何故か「精神科に行った」彼は家族と共に暮らすことがいけないこととなり、「精神科に通わない」彼は家族と共に暮らしてよいことになる。それが意味することは、家族という共同体の中に「変人」が一人いることにより「世間」という共同体から排除されてしまうかもしれないという恐れが感じられる。やはりここでも「デオドラント」で「安全」な共同体の幻想が見え隠れする。
 犯罪被疑者たちについても同様に「普通の人」ではないというレッテルを貼ることによって「一般的な人間」は凶悪犯罪を犯すような特質を持っていない、という市民の感情浄化=安心感としての役割を負っている。また犯罪被疑者に関しては精神疾患の中でも知能面では問題がないが、コミュニケーションが苦手なアスペルガー症候群とあくまで人間として「人格が悪い」だけの人格障害をどちらかを適用することによって、犯行時は完全責任能力を有していたと判断し、刑は「一般人」と同様に与えることにより国民の感情を抑えている。つまり「アスペルガー症候群」と「人格障害」はデオドラントな安心感と処罰により噴き上がりの沈静化を同時に成し遂げられる「絶妙な」レッテルなのだ。

●6th Chapter 「病名」というコミュニケーションツール〜Deconstraction〜
 しかし単純に一般社会から「切り離す」装置としてのレッテルは少しずつ変容している。それは世間や医師がレッテルを貼ることを止め始めているわけではない。むしろ彼らは積極的になんとか病名をひねくりだそうとしている。そのような現状が続くのでは、貼られた方もだまってはいない。そう、変わった方は貼られた側だったのだ。それは今までよくありがちであった真っ向から批判することではない。今まで貼られる一方だった患者側がそのレッテルを貼られたもの同士で同じ仲間として集まり始めるという方法を取ったのだ。具体例を挙げると初めから「私は鬱病で薬を飲んでいる」などとカミングアウトすることによって「あ、私もそうだ」という相手の反応を引き出し、そこでコミュニケーションが発生している。その証左に私が会ったメンヘラーたちはまさにそのコミュニケーションによって実際に集まる機会を得たのだ。
 ではなぜそのような新たなコミュニケーションツールとして「病名」が使用されるようになって来たのであろうか。最も大きな要因はパソコンとインターネットの普及だろう。パソコンが一家に一台から一人一台の時代に移りつつある中で、昨今のブロードバンド網整備に伴い定額サービスでネット接続が多くの家庭でできるようになった。そのおかげでメンヘラーの部屋にもプライベートに使用できるネット接続可能なパソコンが置かれるようになった。家の中の自分部屋の一番隅っこという最も「内」に存在していたパソコンがインターネットにより広大な「外」へと変容してしまった。
 中にはインターネットが理由でメンヘラーになってしまった、というインターネット危険説を唱える人もいるだろうが今回会ったメンヘラーの中ではその可能性がある人はいなかった。実際には多くのメンヘラーたちはインターネット後発組であった。つまりメンヘルに症状が出てきたあとに、インターネットを本格的にやり始めたというわけだ。そのような事実に鑑みればインターネットによるコミュニケーションが精神的な失調を引き出したということは、私が見てきた現状では認められない。
 このように病名をさらしてしまうというある種の開き直り的な方法により、外との交信手段を得ることができたという事実は患者側にとっては一つの光明だ。今まで部屋に閉じこもりきっていただけだったのが、インターネットの爆発的普及や(逆説的にありがたいことに)精神科医の病名乱発の「おかげ」で一つのコミュニティーを形成する糧にありつくことができた。

●Fianl Chapter これからの「可能性」〜Renegades〜
 だがメンヘラーたちの病名をコミュニケーションツールと使用することで問題は解決するのだろうか。彼らはコミュニケーションのツールとして自らの病名を使用することができたが、現状ではそのツールが有効に使用できうる環境は同じくメンヘラー に対してだけである。それでは延々とその小さな集団の中で生き続けるしかなくなってしまう。いくら開かれても その一寸先は閉ざされ続けてしまう。それが意味することは永遠に現状は変わりえないという事実だ。果たしてそれでいいのだろうか。彼らには一つの「居場所」はできたまではいいのだがそこに安住するという選択肢以外なくなってしまうのではないだろうか。
 また逆にその小さな「病名共同体」を打破する必要がなくなってしまうという可能性もある。まず経済的な面を考察しよう。メンヘラーの多くは一般的な社会から離れた人が多いが、両親と暮らしている人が多い。そのため経済的にはさほど困らない。例え両親が退職していたとしても老後の生活の蓄えで一人分くらいの食料費を出すことは、多くの家庭で容易ではないにしても、決して家計が「火の車」になるようなことではない。もっと先まで考えて両親の死後でも残りの人生に必要な生活費くらいは遺産としてありそうな気がする。ここまでメンヘラーたちが腹黒く考えているかはわからないが、少なくとも近い将来に路頭を彷徨うことになる心配を持っている人は実際にあったメンヘラーの中にはいなかった。一人を除けパトロンとなりうる同居人(ほとんどが親)と同居していた。そうなるとわざわざ無理して「社会」に戻らなくても、質素ではあるが今の生活をずっと続けていくという選択肢も十分にありえる。

 もう一つ考えられる理由は社会そのものが戻るに値しないという価値判断の上で、社会から切り離されたままを望むメンヘラーも出てきうる。今まで社会に戻ろうとばかり思いつつも家に過ごす日々が自分の年齢を上積みさせ、より社会復帰が難しくなり余計に不安が増大する。このような悪循環が少なからずあったと考えられ、事実会ったメンヘラーの半数以上がその悩みを持っていた。しかし「幸薄き」一般社会に戻らなくとも現状のコミュニティーの方が実りがある生活ができる。金銭的には確かに贅沢は無理だが、そもそも贅沢したいとも思わない。贅沢自体が一般社会の勝手なものさしだ。という具合に未だに多くの人たちに「自明」となっている一般社会は、戻るに値するという考え方が「戻るべき」とされる人たちに共有されなくなったらどうなるのだろうか。
 私が会ったメンヘラーたちの中にはここまで考えている人はいなかったが、今後出てこないとは言い切れない。仮にそうなった場合には「戻ってくる」気配もなく、一般社会から脱却し税金もろくに納めていないのに、社会福祉制度はちゃっかり利用する大勢のフリーライダーに対する批判が増大することも考えられる。また その批判も必ずしも的外れとはいえない。しかし、その「フリーライダー」自体がかなり大きな「共同体」を形成しだせばメンヘラー共同体が一般社会から脱却した「外道」で「仮」の共同体であったところから一般社会で形成されていると思われている「共同体」と肩を並べる存在となり、一般社会のルールの意味が壊れてしまう可能性すらある。もしそのようなことが起こった場合、我々はそのような共同体の乱立をあるがまま受け入れることは可能であろうか。また逆に問うならそのような共同体の出現を「許す」ことは果たして正しい選択なのだろうか。公共性という概念で解決を計ることも考えられうるが、その「公共性」という概念すらも通用しない強くなった「共同体群」が出来上がっている可能性もある。そのときは(現在でいうところの)社会に生きる意味がないのだ、と判断する人が大量にいることを意味する。

 「一般社会」という共同体以外で生きる道は多くの人に新たな可能性を見い出した。しかしそれが意味するところは現世の実りのなさの裏返しなのだ。メンヘラー問題は、決してメンヘラーだけの問題ではない。メンヘラー予備軍だけの問題でもない。私たちの日々の生活の基盤にある価値観をも揺るがしかねないことなのだ。フリーライダー問題や労働世代の非活用などの今現在、メデイアなどで言われている問題だけではないのだ。社会の基盤を大きく揺るがす可能性があるのだ。現存する社会の価値観をすべて揺るがしかねない問題する抱えているといって良いだろう。その「揺れ」の善悪は簡単に決着できる問題ではない。正直言えば私もどちらが良いのかと問われたら答えに窮する。しかし近い将来、日本が下準備のないまま、この問題にまで突っ込んでいくように思えてならない。


●脚注
*1 トリップ
 匿名手段の中で固定ハンドルよりも強固に一人の特定の人間をアイデンティファイするための一つの方法。2ちゃんねるなどで使用可能。http://info.2ch.net/guide/faq.html#C7参照

*2 DSM-IV
 日本語訳は『精神障害の診断と統計の手引き』。アメリカ合衆国の精神医学会が定めた精神の失調を診断する際の指針を示すもの。これを使用することにより客観的に病名を診断することができるとされている。日本国内では精神医学の領域で診断基準と広く用いられている。末尾のIVは第四版を表す。

*3 ICD10
 日本語訳で『疾病及び関連保健問題の国際統計分類』。WHO(世界保健機構)が死因や疾病の国際的な統計基準として発表しているもの。DSM-IVと並び精神医学の領域で診断基準として用いられている。末尾の10は第十版を表す。

*4 アスペルガー症候群

 DSM-IVの記述は以下の通り(『DSM-IV-TR―精神疾患の分類と診断の手引』医学書院より引用)

A.以下のうち少なくとも2つにより示される対人的相互作用の質的な障害:

(1)目と目で見つめ合う、顔の表情、体の姿勢、身振りなど、対人的相互反応を調整する多彩な非言語性行動の使用の著明な障害。
(2)発達の水準に相応した仲間関係をつくることの失敗。
(3)楽しみ、興味、成し遂げたものを他人と共有すること(例えば、他の人達に興味あるものを見せる、持って来る、指さす)を自発的に求めることの欠如。
(4)対人的または情緒的相互性の欠如。

B.行動、興味および活動の、限定され反復的で常同的な様式で以下の少なくとも1つによって明らかになる:

(1)その強度または対象において異常なほど、常同的で限された型の1つまたはそれ以上の興味だけに熱中すること。
(2)特定の、機能的でない習慣や儀式にかたくなにこだわるのが明らかである。
(3)常同的で反復的な衒奇的運動(例えば、手や指をぱたぱたさせたりねじ曲げる、または複雑な全身の動き)。
(4)物体の一部に持続的に熱中する。

C.その障害は社会的、職業的、または他の重要な領域における機能の臨床的に著しい障害を引き起こしている。

D.臨床的に著しい言語の遅れがない(例えば、2歳までに単語を用い、3歳までに意志伝達的な句を用いる)。

E.認知の発達、年齢に相応した自己管理能力、(対人関係以外の)適応行動、および小児期における環境への好奇心などについて臨床的に明らかな遅れがない。

F.他の特定の広汎性発達障害または精神分裂病の基準を満たさない。


 ICD10の記述は以下の通り(『ICD-10精神および行動の障害―臨床記述と診断ガイドライン』医学書院より引用)

 疫病分類学上の妥当性がまだ不明な障害であり、関心と活動の範囲が限定的で常同的反復的であるとともに、自閉症と同様のタイプの相互的な社会的関係の質的障害によって特徴づけられる。この障害は言語あるいは認知的発達において遅延や遅滞がみられないという点で自閉症とは異なる。
多くのものは全体的知能は正常であるが、著しく不器用であることがふつうである;この病態は男児に多く出現する(約8:1の割合で男児に多い)。
少なくとも一部の症例は自閉症の軽症例である可能性が高いと考えられるが、すべてがそうであるかは不明である。青年期から成人期へと異常が持続する傾向が強く、それは環境から大きくは影響されない個人的な特性を示しているように思われる。
精神病エピソードが成人期早期に時に出現することがある。


【診断ガイドライン】

診断は、言語あるいは認知的発達において臨床的に明らかな全般的な遅延がみられないことと、自閉症の場合と同様に相互的な社会関係の質的障害と、行動、関心、活動の限局的で反復的常同的なパターンとの組み合わせに基づいて行われる。自閉症の場合と類似のコミュニケーションの問題は、あることもないこともあるが、明らかな言語遅滞が存在するときはこの診断は除外される。

A.表出性・受容性言語や認知能力の発達において、臨床的に明らかな全般的遅延はないこと。診断のあたっては、2歳までに単語の使用ができており、また3歳までに意志の伝達のための二語文(フレーズ)を使えていることが必要である。身辺処理や適応行動および周囲に向ける好奇心は、生後3年間は正常な知的発達に見合うレベルでなければならない。しかし、運動面での発達は多少遅延することがあり、運動の不器用さはよくある(ただし、診断に必須ではない)。突出した特殊技能が、しばしば異常な没頭にともなってみられるが、診断に必須ではない。

B.社会的相互関係における質的異常があること(自閉症と同様の診断基準)。

(a) 視線・表情・姿勢・身振りなどを、社会的相互関係を調整するための手段として適切に使用できない。
(b)(機会は豊富にあっても精神年齢に相応した)友人関係を、興味・活動・情緒を相互に分かち合いながら十分に発展させることができない。
(c)社会的・情緒的な相互関係が欠除して、他人の情動に対する反応が障害されたり歪んだりする。または、行動を社会的状況に見合ったものとして調整できない。あるいは社会的、情緒的、意志伝達的な行動の統合が弱い。
(d)喜び、興味、達成感を他人と分かち合おうとすることがない。(つまり、自分が関心をもっている物を、他の人に見せたり、持ってきたり、指し示すことがない)

C.度外れた限定された興味、もしくは、限定的・反復的・常同的な行動・関心・活動性のパターン(自閉症と同様の診断基準。しかし、奇妙な運動、および遊具の一部分や本質的でない要素へのこだわりをともなうことは稀である)。

 次に上げる領域のうち少なくとも1項が存在すること。

(a) 単一あるいは複数の、常同的で限定された興味のパターンにとらわれており、かつその内容や対象が異常であること。または、単一あるいは複数の興味が、その内容や対象は正常であっても、その強さや限定された性質の点で異常であること。
(b)特定の無意味な手順や儀式的行為に対する明らかに強迫的な執着。
(c)手や指を羽ばたかせたり絡ませたり、または身体全体を使って複雑な動作をするなどといった、常同的・反復的な奇異な行動。

(d)遊具の一部や機能とは関わりのない要素(たとえば、それらが出す匂い・感触・雑音・振動)へのこだわり。

D.障害は、広汎性発達障害の他の亜型、単純型分裂病、分裂病型障害、強迫性障害、強迫性人格障害、小児期の反応性・脱抑制性愛着障害などによるものではない。

参考文献
小俣和一郎『近代精神医学の成立』人文書院
斉藤環監修『ひきこもり』日本放送出版協会
高岡健『人格障害論の虚像』雲母書房
ベンジャミン・B・ウォルマン『なぜ「危ない人」が育つのか』主婦の友社
リアン・ホリデー・ウィリー『アスペルガー的人生』東京書籍

Bulkfeeds で関連記事検索
コメント

こんにちは!私の名前は私が給料事前ローンに関するウェブサイトがどのように保証された給料日ローンの直接の貸し手英国について、私は私のウェブサイト上であなたのウェブサイトについても言及する仕事を持っていないTolonoから午前アイクAtchinsonです

投稿者 by: online payday loans at 2013年4月 3日 03:07

taknews.net-blog: とりあえず無題

投稿者 by: wholesale bags at 2014年2月21日 17:10
コメントを投稿する












名前、アドレスを登録しますか?