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2005年 2月 28日

「体感」としての音楽文化

投稿者 by tak@taknews.net at 00:20 / カテゴリ: 08長い文章 / コメント (2) / トラックバック (0)

白いイヤホン
 街にでよう。そして道行く人の耳元をじっと観察する。ほら、あったあった白いイヤホンが。この一年ほどで爆発的に増えた「白いイヤホン」。その正体はiPodだ。「ネコも杓子も」とまでは言わないが、一日繁華街を歩けばあれよあれよと目に飛び込んでくる。しかし、このiPod人気はただのブームとしてだけ処理できる問題ではない。その裏には今後の音楽のあり方を見極めるヒントが詰まっているのみならず、文化全般のあり方にまで問題を投げかけている。つまりiPodの考察はただの「流行りもん」チェック以上の価値があるのだ。

iPod
 世界初のハードディスク搭載ミュージックプレーヤー・iPodの歴史は僅か三年強しかさかのぼることができない。2001年10月に初代iPodは発売され(Apple社プレスリリース http://www.apple.com/pr/library/2001/oct/23ipod.html)その後ほぼ一年に一回の代替わりを重ね、現在では第四世代にまでなっている。またサイズの小さなiPod miniと第四世代の上位機種としてiPod photoも発売されている。わずか三年でこれだけの新製品を世に送出し、累計出荷台数1000万台を超える大ヒットを記録し続けているiPodの特徴は何だろうか。
 それはやはり、大量の曲を手軽に持ち運べることだろう。もっとも容量の小さいiPod miniでさえ約1000曲も収録可能である。これでも多くの人にとっては必要十分な曲数であろう。音楽鑑賞を趣味としているのであれば40ギガのiPodにすれば10000曲入る。これでほとんど問題はない。
 100グラムあまりの箱の中に、持っているCDがすべて入ってしまうことは何を意味するのだろうか。まずは利便性が大幅に向上した。レコードからCDへの変化は携帯性を一気に高めた。そして かばんにしまって持ち運べるサイズにまで小さくなった音楽は、iPodの出現によりすべてが片手に収まってしまうようになった。この利便性は革新的であり、私たちの常識を悉く覆したと言ってもいい。

圧縮音源
 しかし根本から考えると、現在の音楽のあり方を変えたのはiPodではない。iPodがあっても圧縮技術がなければ何の変化もない。つまりハード面の変容は、ソフト面での革新に支えられているのだ。その「革新」である音声圧縮技術は、フラウンホーファー研究所からはじまった。1980年代半ばにドイツの同研究所(http://www.iis.fraunhofer.de/amm/index.html)が音声圧縮技術の研究を開始した。そして同研究所は1989年にはドイツでMP3(*1)の特許を取得している。しかし、実際に一般人がこぞって使用する環境が整ったのは、1998年にWinampが無料のMP3の再生できる音楽プレーヤーとして誕生してからといっていい。そうなると圧縮音源が世に広まってからの歴史は僅か6年あまりなのである。それが今となっては音楽の所持形態を根底から揺るがしうる存在となっているのだ。
 変化しうるのは音楽の所持形態だけではない。音楽そのものの購入スタイルも大きく変化する可能性があるのだ。それはネットを通じての音楽購入である。日本への上陸は権利処理の問題などがあり まだであるが、アメリカではApple社のiTunes Music Store(以下iTMS)が人気を博している。ここで少々iTMSの説明をしよう。iTMSとはApple社の音楽配信サービスである。曲を一曲単位で購入することができ、価格もアメリカの場合一曲99セントと極めて安い。自宅でいつでも手軽に安価に購入できることもあり、2005年1月24日には累計2億5000万曲が購入され、1日当たりのダウンロードは125万曲にも上っている(Apple社プレスリリース http://www.apple.com/pr/library/2005/jan/24itms.html)。この勢いを見る限り、日本に上陸すれば台風の目となるだろう。もしかしたら、CDを通して音源を購入するというスタイルが淘汰されてしまうかもしれない。

ツールとして
 しかし一つ興味深いことがある。それはこの配信技術が主流となれば、わざわざ音質を落とした音源を購入することになる。iTMSは現在 圧縮技術はAAC(*2)を使用し、ビットレート(*3)は128kbpsで音楽を配信している。様々な評価はあるが、レコードからCDの変化は「音の革命」ともてはやされた。しかしCDから圧縮音源の変化は明らかに音質を落としている。事実私がCD音源とそれをAAC(128kbps)に圧縮したものをブラインドテストをしてみると、音が悪いと評価した方はAACであった。それもなんとなくではなく、自信を持って音が悪い方を選択できた。Apple社はDolby Laboratoriesの情報を元に「AACを使って128kbps(ステレオ)で圧縮したオーディオは、オリジナルの非圧縮オーディオと「区別がつかない」と専門家に評価されました」と述べている(引用元http://www.apple.com/jp/mpeg4/aac/)が、私にはCCCDのようにスピーカーの前にものがあるような、こもった音に聞こえてしまう。
 ここで疑問が沸くのは新たな「道具」が発達すればそれに使われてしまうのではないかということだ。今回の例で言うならば圧縮技術が出てきたが「ため」に、圧縮音源はCDと同じ音質で素晴らしいものだと「信じて」しまい、さも自分の持っているCDすべてを「小さな箱」にすべていれて持ちはこば「されて」いるのではなかろうか。そしていつしか圧縮音源が音の「基準」となってしまうのではないか。iPodが流行ってしまったがために「白いイヤホン」がつけたくなり、iRiverやCreative(*4)ではだめになってしまっていないだろうか。それらの可能性を考えると、iPodの人気という現象を超えて私たちの文化の「あり方」にまで問いを投げかけてくる。

「音を極める」〜エイフル〜
 そのような事実があるためか、圧縮音源やポータブルミュージックなどの手軽な音楽に抗する「音楽」もある。それはピュアオーディオだ。ピュアオーディオの定義は原音に忠実(純粋 ピュア)な音楽を聴こうという方向性であると言っていいだろう。そのピュアオーディオは変遷する音楽の中で、どうなっていくのかを考えることも一つの示唆になる。そう思った私はヴィンテージオーディオショップのエイフル(http://www.eifl.co.jp/)を伺った。場所は新宿より約一時間、狭山市駅から歩いて十分ほどのところにある。ショップというよりも町工場に近い佇まいは、ただ高級なオーディオ製品を右から左に売りさばくのではなく、ショップ自らが新たな製品を作っていこうという古きよき「工房」のイメージであった。早速、店舗二階でレコードとCDに囲まれながら代表取締役 若林 鋼二氏に話を聞いた。まずは創業などの背景から尋ねた。

 「創業は1989年の10月です。客層は国内ですと顧客リストに載っているのが6000人ほどです。まあお客さんはオーディオマニアですね。あと輸出が売り上げの20(%)くらいあるので外国にいっぱいいるんだけど それはリストを作っていません。年齢層はやっぱり年配の方が多いです。んー若い人は今はパソコンの方に走っていますからね」

 ニッチ産業に思えていたが、顧客は決して少なくないのではなかろうか。年配世代の趣味としてオーディオが、まだまだ生きていることを十分示すことができる数値だ。また図らずも「パソコン」という言葉を聴き、一つの世代間の狭間を感じることができた。続けて、その狭間を確認するべく顧客の変化について聞いた。

 「オーディオマニアは昔から好きな人がほとんどだね。いきなりオーディオ好きになる人はほとんどいないね。だから、やっぱり老齢化が進んでいて、お客さんが亡くなるということもあるね。この商売は、先が明るいとはいえないね(笑)次世代となると、うーん少ないよね、やっぱり。マーケットは縮小傾向だよね」

 やはり若い世代の顧客はなかなかいないようだ。どうしてもオーディオに興味を持つ「環境」がないのだろう。気がつけばCDラジカセかミニコンポで 流行歌を聴くだけの音楽環境しかなかった。オーディオを趣味としている人は周りにいなかった。「流し聞きのためのカーラジオ」や「音の割れるラジカセ」で育った若い世代にはなかなか興味がわかないのも無理はない。続いて自分が知らない「レコード」を知るためにも、レコードからCDへの変化を聞いた。

 「CDが出たときはみんな革命だって騒いだよね。けど今はやっぱり、アナログに戻ってくる動きがあります。もちろんデジタルが伸びてくると思うけれども、やっぱりデジタルは一種の圧縮でしょ。情報量がアナログに比べて圧倒的に少ないね。けどCDもいいところはあるんだよ。ダイナミックレンジ(*5)は広いし、持ち運びは簡単だね。車の中でレコードは聞けないしね。流れはデジタルなのは間違いないね。」

 現実としてはレコードの生産枚数が増えることはまずなかろう。今も作ってはいるが、ディスクジョッキーなど限られた人だけが必要としているだけだ。利便性も考えるとデジタル主流の現状は変わることは、ない。その現状で私たちはもはやレコードの音に触れる機会はない。その現状でアナログはデジタル世代に受け入れられるのだろうか。そしてそのよさを基準を持って判断できるのだろうか。その点を聞いてみた。

 「デジタルの録音やっている人たちもね、デジタルだけでずーっとやっていくと つまんない音になると気づいてきているわけよ。だから音源がある程度出来上がった段階でアナログ(*6)の回路を通すんですよ。そうするとね、面白くなるんだよ。」

 単純な測定器から出てくる数値ではない。もちろん理論的には真空管アンプは反応速度の速さ、裸特性のよさ、適度な歪、負帰還の少なさなどが上げられよう。しかしその理論は後付でいい。本当に「面白い」と体感できる音、それがいい音なのだ。そこで出会うのが「アナログ」なのだ。その後、まさにデジタルの申し子とも言えるiTMSなどによる音楽配信の普及について意見を求めると、若林氏はフルトヴェングラー(*7)亡き後にベルリン・フィルの主席についたカラヤン(*8)を例に出して、ビジネスとして成功することが音楽文化を支える可能性があることも指摘した。

 「カラヤンさんは悪く言う人もいっぱいいるけど、彼の功績は録音した音源を世界に発信してくれたことがあげられるね。カラヤンさんはベルリンの指揮者になったんだけど、その前にチェリビダッケ(*9)さんもいたんだ。彼の音楽の方が質が上だという人が多かったわけよ。けど彼は(ベルリン・フィルの指揮者に)ならなかったんだ。なぜならなかったといったら、チェリビダッケさんは録音したのが嫌いだったわけ。ところがカラヤンさんはそれが大好きなわけだよ。録音したレコードに自分の写真を貼り付けてね、今までそういう人はいないと思うんだ。けどそういうことがベルリン・フィルの財政的基盤を作っていたわけだよね。芸術だけではやっていけないわけだから。僕もチェリビダッケさんの方が好きだけど、カラヤンさんの方がなってよかったという気もするんだよ。音楽の普及には彼は貢献したしね。けど僕はカラヤンさんの演奏は聞きたくないね(笑)。あまりにも面白みがないから」

 多分日本人の中で一番有名な指揮者は小沢征爾とカラヤンであろう。聞いたことがなくても一度は耳にしたことがあるカラヤンの名。その「知名度」自体が音楽の普及に多大なる貢献をした彼の功績の証なのであろう。クラシックファンの評価はどうあれ、世界中に「こんな良い音楽があるんだ」と示し続けた功績は計り知れない。そして音楽のネット販売技術が「カラヤン」の代わりをしてくれて、世界中に今まで手に取る機会もなかった音楽を非常に安価で提供してくれるようになる可能性がある。その大いなる可能性を踏まえて音楽のネット販売についてさらに聞いた。

 「僕はいつでも音楽のいいものは伝わると思うんだよ。『こんないい曲があるんだ』と思ってね『それならもっといい音で聴きたい』という人も出てくると思うんだよ。そうなればこういうの(ネット販売)もいいと思うね。」

 頑なになっていても始まらない。iTMSは「カラヤン」となって次世代に大量の音楽のストックを継承する役割を担ってくれるはずだ。しかし、そのためには一人一人が自分でジャッジする力が試される。私たちは単純に「新しいものはいいと受け入れてしまうのではないだろうか。その疑問をぶつけた。

 「日本人は古いものを大事にしないよね。それはもう明らかだよね。進歩主義というかね、時代は常に進歩していくという考え方があると思うんだよね。安易にね、新しいものが出たらそてが良いと言って、古いものは捨てる。外国ではそんなことしないよね。どんなものでもいいところも悪いところもあるんだよ。そういう意味では日本人は軽薄だよね。」

 大手メーカーに25年間勤められた後に、エイフルを立ち上げた。勝手な想像で恐縮だが、大手メーカー時代はそれなりに安定した立場であっただろう。多分金銭的にはいまよりはずっと楽な生活だっただろう。しかもエイフルを興した1989年はバブルの絶頂期である。同じ独立でも金銭的にもっと儲かると思われてものもいくつもあったであろう。もちろんメーカーに残っても安定的な立場は確固たるものである時代だったのではないだろうか。そして話は「生き方」へと向かう。

 「金銭的にはもっと楽な生き方があるのは間違いないよね。やっぱりそのほうが楽でいいんだろうけど、それで人生終わるのもきっと悔いが残るよね。一回しかないんだから、なんかやったんだっていう満足感がないと。自己満足でもいいから、何かやらないとね。」

 音楽そのものとはだいぶ離れてしまったが、若林氏の生き様が氏の音楽のスタンスを形成しているのは間違いない。時代の潮流による尺度に揺らされずに良いものを判定していこうというスタンス。その結果が音楽ではヴィンテージオーディオによる「面白さ」を体感。仕事はそのオーディオのショップを開くという決断。すべてがバックグランドとして人類の英知の上に形成される自己の基準を元としている。

 最後に一階の試聴室で音楽を聞かせていただいた。それはもう素晴らしいものであった。音が前後、左右、上下に広がり、眼前にオーケストラが広がるのだ。ピアノは指の動きが感じられ、ヴォーカルは唇のウェット感も伝わってくる。そしてどれも「実体」が目の前に浮かぶ感覚に襲われるのだ。私は一瞬にして真の聴衆となった。
 この音を聞いてもチェリビダッケは「録音は墓場だ」と言うだろうか。たぶん彼ならそれでも「墓場だ」というだろう。それは彼自身が絶対的尺度を脱ぎ去り、常に瞬間瞬間に世界を創作していたからだと、私は考える。しかし同時に違う感覚も覚える。それは私たちが「現場」に召還されているのではないだろうか。空間と時空を超えてその演奏会場に「召されている」のではないか。事実私は視聴したソファーからスピーカーまでの距離を全く思い出せない。考えれば考えるほど、頭の中の「スピーカー」が前後に、前後に動いてしまうのだ。それは「現場に召された」私の身体が感じた距離を振り返っているのであって、決して実際の私とスピーカーの位置関係を思い出しているわけではないからだ。この体験は「リアルだ」とか語呂を並べたところで他人に共有できるものではない。このようなものを若いうちから体験できる場(それはオーディオ装置だけでなくて生の演奏会なども含む)が身近にあれば、感性は磨かれるだろうと強く感じ、ある種の酩酊状態で帰途についた。
 余談になるが帰宅後、自分システムで音楽を聴いたら、あまりのくだらなさにショックを受けたのだった。それでも一般家庭よりよっぽど「面白い」音が鳴るシステムだと思うのだが。


旧きものとの出会い〜andup〜
 一方、iPodの出現をある種「逆手」にとって、そのテクノロジーは生かしつつ「楽しもう」という発想をされた方もいる。andup(http://www.and-up.net/)のオーナー・石井健之氏だ。氏はiPodから音楽をFMトランスミッター(*10)で飛ばして、オールドラジオで聞くことを考え付いた。それを提示している場が北青山のマンションの一室にあるandupなのだ。創設は2004年3月とまだ一年ほどしか歴史がないショップである。しかし後発組ではない。きっと世界初だ。
 心地よいジャズの音色がヴィンテージラジオより流れる店内でお話を伺った。まずは創業の経緯について聞いた。

 「僕は今までデザインとかアートをやってきて、また多くのいろいろな分野の人に会ってきました。その中で若いときの気持ちで言うと『工房』を目指していました。ギルド制で、その中で彫刻を勉強していたわけだけど。そうすると親方がいてスタイルがあって、その中で親方が100%一対一でコーディネイトするんだよね。そういう中でできることを片方では望んでいて、一方では『こうあったらいいよね』というものに対してどうもしっくりこない。だけどそれをトータルしてまとめるのが非常に難しくて、宗教とか次元が違うところいっちゃうわけだよね。でもそれはちょとまてよ、僕のできるスタンスではない。そう思っていたときに『ああ、そうか これはiPodがある。』と気づいたわけですね。今の時代は何でもすぐに新しいものに変えてしまうわけですよ。けど僕は古いフィルターを通して今を見たらどうなるかな、と思って古いラジオを置いといたんですよ。それでたまたまiPodで鳴らしてみたら、これがよかった」さらに創業までのエピソードは続き、Appleの理念へと進んでいった。

 「僕はマックを15年くらい使っているけれども、Appleの理念がわかってきた。生活の中にただ道具・機械ではなくて根付いてきているんだね。iPodを古い真空管ラジオにつなげるなんてAppleは考えてなかっただろうけど、結果それができるようになってるんだよね。それでその良さに気づいた人は幸せなことだねって思って、それをわかってもらうために実際に伝えていこうと。まあ、それが始まりですね」

 第一問目の投げかけに、これだけの話が聞けたことは単純にうれしかった。ただ真空管ラジオが古いから、昔のアンティークラジオの雰囲気がなんとなく流行りそうだから、というレベルではない。今までの人生の「しっくりこなさ」をなんとか「しっくりさせる」活動の一環であったのだ。流れ行く日々の中で、共に流れていく「もの」に対する私たちの軽薄な態度に対する想いが新たな可能性を生んだのだ。そしてその可能性が新たな生活に密着している新技術と融合したのだ。続いて客層について聞いた。

 「客層は若い人から年配の方まで幅広いです。大体の人がジャズ好きですね。年配の方はアナログのレコードを聴いていて音楽に対する『基準』がある人が多いです。音楽を聴くのをやめていたけれども、ここにきて気持ちが呼び覚まされたという人たちです。あとはレコードやアンティークラジオを全く聴いたことがない若い方も『いいですね』といってくれるね」

 店内に並ぶラジオたちの値段は若者にとっては決して安いものではない。それに彼らは真空管はおろかラジオでさえさほど聞いてこなかった世代なのだ。その彼らが「いい」という感覚は非常に興味深い。この感覚は間違いなく「体感」としていい音とめぐり合っているのだ。その感覚を提供してくれる伝道師が石井氏なのだ。続いて石井氏にアンティークラジオの組み合わせの魅力を聞いた。

 「昔のラジオがある空間は暖かかったのです。古い車に乗ってもラジオをBGMにして会話があった。そこには人とのその瞬間瞬間を大事にする一期一会の精神があったのですよ。それを提供していたのが暖かさを醸し出す古きよきラジオたちだったのです。それを人間が忘れていてのだけれども、いま前に向かっても もう行き詰っちゃっている。そこではっと後ろを見ると今までと違ったものが見えてくるのですよ。そうしたら後ろにそのアンティークラジオがあった。今までは新しい道具ができると、すぐに人間は飛びついていた。デジタルがでればデジタルがいいと飛びついて、パンフレットを見て『ここがいい』とかと言っていたわけですね。そうじゃなく自分がいいと思えるものを使う。そういう時代なのじゃないかな」

 それは「失われた十年」のある種の産物だったのかもしれない。前を向いてもそこに道は見えず、閉塞感があたり一面に広がる。現実の結果としても職もなく、経済的に相当苦しい状況に陥った人々が少なからずいる。そのような社会だからこそ「後ろ」からの呼びかけに振り返ることができるようになったのかもしれない。その一つがアンティークラジオからの「声」だったのだ。体感として「暖かさ」を提供してくれる古きよきものを再認識したのだ。しかし、その感覚は万人に共有されているものだろうか。私はどうしても、そうは思えない。選択肢を時代という枠で絞って、選択しているふりをしている人がほとんどではないか。その考えに対して石井氏はこう答えた。

 「残念だけど(日本人の持つ)基準が伝統というものを無視しすぎているよね。もちろんチョイスとして新しいものがあるのはいいのだけれども、それをちゃんと選べるようなスタンスが世の中になければいけないよね。それは現状では確実にない。そのような価値観を形成していき伝統の相互理解をしていかなければ、グローバライゼーションに飲みこまれてiPodに対してお金を払うだけのロボットになってしまうだけです」

 石井氏の伝えたいことは「昔はよかった」などという小さな話ではない。伝統という長年の蓄積を自分が吸収した上でこそ、新たなものへの評価ができるということなのだ。何も古いからいいのではない。長年培われてきた人間文化の「基準」があって初めて、ものごとの評価が可能となるのだ。今までの積み重ねの中で物事を見極めることによって、新たなものをただ「新しい」からという理由で使う「奴隷」とならない考えがそこにはある。そして流れ行く日々をただ単純に「流さない」人間重視の視点も強く感じられた。そして最後に石井氏は自分のショップのスタンスを料理を例に話された。

 「料理でもレシピを見るだけで味がわかる人もいれば、においをかいでわかる人もいるしいろいろなタイプがいるわけですよ。けど僕は味わってもらいたい。実際に味わってもらって、それでおいしかったか判断して欲しい」

 インタビュー後は早速「味わう」ことをさせて頂いた。一台一台すべて違った音を持っており面白かった。それぞれが個性を放っている。ちょっとスピードのあるナンバーもがんばれる派手なやつ、ゆったりともたつくけどどこか憎めないやつ。すべてが自分の「味」を持っていた。また全般的に音に奥行きがあった。音域を考えればかなり狭くなっている。低音も高音もなくなっている。それにどうしても雑音も多い。しかし、何か「面白さ」がある音色なのだ。匂いがあると言ってもいいかもしれない。奥行きがあって、心地よくて、人間味あふれる。そんな音を提供してくれる。そして全く聞き疲れがしない。インタビュー時間も含めて二時間ずっと聞いていたのだが全く聞き疲れは覚えなかった。耳につく高音はカットされ、心地いいヴォーカルの帯域が体に染みる。これなら大量の曲が入っているiPodをジュークボックスとして使えばかなり楽しめるな、と素直に感じた。


新たな「出会い」〜レコミュニ〜
 最後にネットを介しての音楽配信をみてみよう。iTMSの日本上陸はまだではあるが、すでに数社が音楽配信ビジネスに乗り出している。だが各社共に軌道に乗っているとはいえない。その音楽配信市場に昨年参入した企業がある。株式会社レコミュニ(http://recommuni.jp/)だ。このレコミュニ、他の各社とは全く違う発想で運営されているのだ。
 まずはレコミュニのシステムについて説明しよう。レコミュニは参加型音楽配信コミュニティを提唱し、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(*11 表記は以下SNS)とネットでの音楽配信を組み合わせたサービスを実施している。会員になるには既存会員からの招待が必要であり、サイト上では他社のSNS同様に会員同士のやりとりが行われている。そのような「コミュニティ」のある音楽配信だけでも他社には当然みられないが、特筆すべきところは配信する音楽は会員が自ら選曲・圧縮・アップロードする点だ。このような今までと違うネット配信を提唱している株式会社レコミュニの代表取締役 福岡智彦氏に話を伺った。まずは創設の経緯を聞いた。

 「立ち上げたのはアイデアありきですね。僕は以前ソニー・ミュージックで長いことディレクターをしていて、音楽配信ビジネスも経験しました。昨年退社して、イーライセンスの三野さん(*12)と『音楽配信も面白くないと流行らないよね』って軽く雑談 で話していたのですね。そこからはじまりました。」

 アイデアありきの「乗りかかった舟」で走り出したと言えば少々聞こえは悪い。しかしその裏には福岡氏をはじめとする音楽産業に関わっている人々の、現状に対する煮え切らない想いと音楽に対する熱い想いがあったのだ。

 「CDの売上が年々落ちて、レコード会社はどこもそうなんですが、もうソニーでも、僕がよいと思う音楽を創らせてもらえるような状況ではありませんでした。すぐに売れそうなものしかできない。だから、一つヒットするとそれに似たものがいくつも出てくるようなことになる。そうするとなんか一過性のブームのようになってしまって、アーティストそれぞれはがんばっていても、ブームといっしょに短期間で忘れられてしまう。それで一年も売れなければ契約解消ですし。経営的にたいへんで四の五の言ってられないのでしょうが、今は、未来に残るいい音楽を創る、というような土壌はないでしょうね」

 福岡氏は大手レーベルに所属し、音楽を創ることで新たな文化を形成していくことはもはや不可能であると感じられたのであろう。ではなぜ大手レーベルが「未来にいい音楽を残す」役割をかなぐり捨て、売れそうなものだけを予算内で作るだけの「装置」と化してしまったのであろうか。組織の肥大化だけなら、すぐに潰れてリセットになることもありうる。しかし現実はまがりなりにも続いている。その背景をさらに聞いた。

 「一つのきっかけは1980年代前半にカネボウと資生堂のCM合戦(*13)だと僕は感じています。それらのCMに使われた曲が軒並みヒットしました。そのころからCMのタイアップ曲やドラマの主題歌が突出して売れるようになりましたね。曲の持つポテンシャル以上に売れてしまったのです。以来大手レーベルはその道に乗っかって今まできました。今ではタイアップがないとリリースもできないような状況になっている。けど、それは自らの首を絞める行為なのですよね。」

 この20年余りで大手レーベルは自らをクリエーターであるという地位を悉く破壊してきた。後世に残る音楽文化の形成役を降りたばかりではない。それならまだ会社の勝手だ。しかし、その行為によって文化財と呼ぶに値する音楽の製作を怠ってきた。最近のすべての音楽がダメだというわけではない。しかし、数十年後に「あの頃のヒット曲」として放送される以上の曲をほとんど作ってこなかったことは間違いない。大手レーベルには自らが文化の担い手であるという意識が確実に欠如している。そして福岡氏は、その終焉を迎えつつある製作現場に見切りをつけて、配信する側へと展開した。配信する場を提供し「いい音楽」を供給するために作ったのがレコミュニのシステムなのだ。ネット上のコミュニティの中で、顔の見えるコミュニケーションをする。その過程で自分が気に入った音楽を紹介し、実際にアップロードする。そして興味を持った他の会員が「投げ銭」感覚で曲を購入する。その中でマスメディアを賑わす「売るため」の評価ではない、「下からの声」によって支えられる音楽文化を形成していく。その理想を体現するべくレコミュニを立ち上げたのだ。しかし現実はたやすくはない。

 「2004年10月19日に正式にサービス開始したのですが、苦労は開始してからの方が多いですね。やはりレーベルとの契約が大変ですね。当初は、レコミュニではDRM(*14)をかけていないので大手は難しいだろうけど、インディーズは大丈夫だろうと思っていましたが、現実はインディーズも別の点でいろいろむずかしいところがありますね。」

 インディーズレーベルと何度も何度もやり取りを行った末に一曲の配信権利を得る。しかし現状ではその曲の配信数は20回弱。そのようなこともままあるという。それでもなぜやり続けるのだろうか?それは続けることによってしか変わりえないからだ。今の選択肢はお金にならなくとも続けていくことによってでしか、現状を変革しえないからだ。次に圧縮している、いわば音質を落とした音源を配信することについて聞いた。

 「僕は圧縮音源は『試聴』だと思っています。他の人が『こんないいのあったよ』と薦めてくれたものを手軽にネットから購入して、いいと思えばCDを買う。そういう形になればいいと思ってます。けどやっぱり圧縮音源の音質で満足している人が多いですね。音がいいことへの感動というものもあるので、個人的にはそこはやはり残念です。」

 さらにiTMSの日本上陸後の方策についても立て続けに聞いた。

 「iTMSがきたところで私たちは変わることがありません。iTMSも結局は今までと変わりはないのです。売れそうな曲がメインになるでしょうし、あくまで曲の提供はレーベルからのトップダウンのままですね。売れそうな曲をレーベルが作って売る、という図式に変化はありませんから。レコミュニは下から(一般会員から)の声で配信される音楽が決まるところが完全に違います。」

 新たな音楽との出会いの場が形成されるからこそレコミュニの意味がある。ネット上の顔の見える存在からの紹介。それを介しての新たな音楽との出会い。それを会員側がCDショップと同列に扱っていては何も始まらないのだ。これは私たち一般人が試されているのだ。レコミュニの提唱する音楽文化の創造を理解できず「なんだiTMSに行けば同じくらいの値段でたくさん曲あるじゃん。視聴もできるし。」と判断してしまえば元も子もない。もちろんCDショップに比べてマイナーな音楽にたどり着く可能性は高まるだろうが、やはり新しい曲を作るのはレーベルである事実に変わりはない。過去のストックが生かされる場にはなっても、新しい曲を創る場は相変わらず変わらない。その中で、本当にリスナーが自分で「これはいい」と体感した音楽はなくなっていってしまう。そして最後に福岡氏は自分たちの挑戦についてこう言った。

 「もし仮にレコミュニが失敗しても、その挑戦の記録が残るわけです。その記録が残れば後世にまた『新しいことをやろう』という人たちの参考にもなります。だから(本当にだめになってしまう前の)今のうちにやってみなければと思いました。」

 レコミュニの挑戦は単純にDRMがらみの著作権の問題や、まして音楽配信のビジネスモデルの構築のためだけに集約されるものではない。もっと大きな目的のために作られたのだ。それは私たちの声に真に答えられる音楽配信現場の提供を通じて、「面白い」音楽を残していくためなのだ。レコミュニが日本音楽史に歴史を刻めるのか、その問いは私たちの音楽に対する想いと相関するように思えてならない。


あり方
 今まで3人の音楽に関わる人を見てきたが、それぞれアプローチの方法は違う。エイフル・若林氏はヴィンテージアンプを通して本物の音を究極的に追求している。一方、石井氏はアンティークアンプという古き「フィルター」を通して新しいものを見ようとしている。レコミュニ・福岡氏は本当にリスナーが「いい」と思える音楽を残していこうとしている。アウトプットは明らかに違う。圧縮音源に対するアプローチや考え方もそれぞれ簿妙に異なっている。一見するとそれぞれが相容れない関係に思えてしまう。
 しかし、ここですでに気づかれている方も多いだろう。3人の根底に流れる「思想」は非常に近い。それは私の言葉でまとめるならこうだ。人類の築き上げた伝統を無視せず、「時代性」なる一瞬の尺度に乗らないで判断する自己。自分が「体感」して感動したことを人にも「体感」してもらう場を提供する日々のライフワーク。これらの根幹の部分で共通性を強く感じる。それは心と生活の豊かさにもつながるものである。そしてそれらをまた共感してく人間が、少ないながらもでてくること。それが今まで人類が積み重ねてきた文化であり「体感」なのだ。
 圧縮音源とそれを利用するiPodブームの先に見え隠れするものは、ただの流行考察ではない。圧縮音源を大量にストックし、iPodやパソコンだけで音楽を楽しむことに文句を言うわけではない。それは人それぞれの選択だ。そして選択肢はできるだけ多くあったほうがいい。しかし、その選択が選ばされたものでないのか、という憂慮を皆がし続ける必要がある。その作業は決してたやすいものではなかろう。これまでの文化の積み重ねを考え、かつ日々日常を「体感」していくことが必須である。それは決して易しいことではない。また正直言えば現代にそのように振舞える人は極少数に思えてならない。これからの音楽のあり方は、ただ音楽の枠だけの話にとどまらない。図らずも後の結果が、私たちの軽薄さを証明することにならないことを願ってやまない。


脚注
*1 MP3
 MPEG Audio Layer-3の略。人間の聞き取りにくい音声などを間引くことなどによって、音のデータを圧縮する技術の一つ。

*2 AAC
 音声圧縮方式の一種。Apple社が標準採用している。

*3 ビットレート
 データの速度を示すもので単位はbps(Bit per Second)。例えば160kbpsなら1秒間に16万個のデータを送っている。なおCDのビットレートは約1400kbpsである。

*4 iRiverやCreative
 iPodのライバル商品を販売している会社。それぞれ韓国、シンガポールとアジアの会社であることは興味深い。

*5 ダイナミックレンジ
 信号の再現能力を表わす数値。信号の最小値と最大値の比率をdB単位で表したもの。高いほど細かい音まで信号まで再現していると言える。ただレコードについては最大値が小さいので相対的に小さい値が出る。

*6 アナログ
 アナログは録音媒体としてのアナログ(レコード)だけでなく、装置としてのアナログ(真空管アンプなど)も入る。

*7 フルトヴェングラー
 ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954) ヨーロッパの伝統あるオーケストラの常任指揮者を歴任した大指揮者。

*8 カラヤン
 ヘルベルト・フォン・カラヤン(1908-1989) フルトヴェングラー亡き後、長年に渡ってベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を務めた。20世紀後半で最も知名度があった指揮者といっていい。

*9 チェリビダッケ
 セルジュ・チェリビダッケ(1912-1996) ルーマニア生まれでドイツで主に活躍した指揮者。順当ならフルトヴェングラー亡き後のベルリン・フィル主席になるべき人であった。その思想は哲学家といってもいいだろう。録音音源を非常に嫌っていたことでも有名。

*10 FMトランスミッター
 音声データをFM電波に変換し、飛ばす装置。FMラジオで受信することができる。大抵は車で使用されることが多い。

*11 ソーシャル・ネットワーキング・サービス
 通称は頭文字をとりSNS。参加者が互いの友人を紹介しあって、友人関係を広げていくコミュニティ型のウェブサイト。既存の参加者からの紹介がなければ参加できないことがシステムを採用しているサイトが多い。なおソーシャル・ネットワーキング・サイトという呼び名もあり、同義である。

*12 イーライセンスンの三野さん
 三野氏は株式会社イーライセンスの代表取締役。イーライセンス社は音楽の著作権管理サービスをしている。日本音楽著作権協会(JASRAC)の一法人独占を打ち破った企業である。またその独占を打ち破る上で、三野氏は関係機関への働きかけなどを行い独占打破のキーマンである。なお株式会社レコミュニのオフィスはイーライセンスのオフィス内にある。

*13 カネボウと資生堂のCM合戦
 両社のCMに使われた曲を集めたCD「ルージュ 〜コスメティック・CMソング・コレクション〜」まで発売されている。二枚組アルバムであるが、一枚目はまさにタイアップ合戦の始まった頃の曲がつまっている。このCM合戦の黎明期は、石油ショックが落ち着きバブルの階段上る日本の時代であることが興味深い。

*14 DRM
 Digital Rights Managementの略。日本名はデジタル著作権管理。配布・交換が容易なデジタルデータの著作権を保護するための技術。日本ではレーベルからの要求が非常に厳しく、DRMを強くかけてあるものでなければなかなか許可されない。携帯電話への音楽配信だけは元気なのは、DRMが完全にかかっているからだ。


取材協力者(五十音順 敬称略)
石井 健之(and up)
福岡 智彦(レコミュニ)
若林 鋼二(エイフル)

この作品は「クレジットの記入」「派生禁止」「非営利」を守っていただければ自由に使用可能です。

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投稿者 by: finland hermes handbags at 2014年2月16日 07:09

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