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2004年 6月 20日

尾崎豊―その存在と「意味」―(ルポ)

投稿者 by tak@taknews.net at 22:51 / カテゴリ: 08長い文章 / コメント (3) / トラックバック (1)

あるところにルポを提出する機会がありました。
それをここにも発表します。
私はプロの書き手でもなんでもないですがWEB上でさらされる以上同等の責任を持つ必要があります。
その点は理解しております。
かなり長いですので覚悟を・・・

-------------------------------
●尾崎豊―その存在と「意味」―

1st chapter―交錯と追憶―

都心から一時間弱、古くからの住宅街を見下ろす丘に尾崎豊は眠る。1992年4月25日の謎の死(警察の発表は肺水腫による病死)から12年あまり。その年月はこの男を風化させてしまうには十分すぎる時間に思える。時間ばかりではない。社会の変化がその風化をよりいっそう後押ししてきたように思えてならない。しかし、今日もまた彼の墓前から立ち上る線香の煙が丘陵の空気と相まみれる。

 私と彼との「遭遇」は彼の葬儀の翌日であった。当時10歳であった私は、若い女性ファンが泣き崩れ 護国寺近辺に集っている姿にただ驚くばかりであった。その光景は私の脳裏に今でも鮮明に焼きついている。なぜお姉さんたちはあんなに泣きじゃくってるの?一人の歌手が死んだだけでなんで泣いてるの?幸いにそれまで(そして実は今でもだが)近親者の死を体感したことのない私にとって間接的ではあるが初めて死を目の当たりにした瞬間だったのかもしれない。あの時 感じた胸騒ぎを今、自分の中で反芻する。

2nd chapter―記号 抑圧⇔解放 傾倒―

 ある晴れた平日に尾崎の墓に行った。月命日でもなんでもないウィークデイだったが先客がいた。30代中頃とおぼしき、おとなしそうな女性だ。ちょうどリアルタイムで彼に接していた世代であろう。私は彼女に軽く会釈をし墓前に手を合わせたあと話しかけた。
「もう12年ですね」
唐突に聞く。そもそも私の顔を見ればリアルタイムで尾崎を体験しているような年齢ではないことは自明だ。そんな若造が彼の記憶が風化していく12年に感慨をもつわけがない。だからこそ聞いてみた。
「そうですね。」
思ったよりあっさりした返事が返ってきた。別に深く考えなかったのだろう。私は早速お話を伺うことにした。まずは尾崎豊そのものについて話を聞く。やはり彼女はリアルタイムで尾崎豊を体感した世代であった。やはりファーストアルバムの衝撃が強かったのか「OH MY LITTLE GIRL」が最も好きだという。私は「銃声の証明」(5thアルバム収録)を最近よく聞くと言う。これは半分用意された答えであったのだが。
「テロリストの歌ですか。初期の作品とは違いますよね。けど、あの<彼は最後に〜>のところの絶叫っぽいところ、好きですね。」
あきらかに初期の作品に傾倒されていることが伺えた。やはり初期のころからのファンは尾崎が10代の頃の楽曲に強く惹かれるようだ。そこで私は彼女の尾崎との出会いの詳細を聞いた。
「確か私が中学生の頃に彼がデビューしたのですよ。(自分は)さえない中学生だし、誰かのライブとかいったことあるわけじゃないのですが何か(尾崎の登場は)衝撃的したね。高校中退したエピソードとかも何か引かれるものがありましたね。面白いな、はみ出してるなって。まあ私は学校行くのやめようなんて思ったことはないんですが。」
さらに彼女は続ける。
「ファーストアルバムを聞いたときは何かこう、すごく共感しましたね。う〜ん、そのときは思わなかったけど代弁者ってやつですね。15の夜なんてちょうど(自分自身が)そのくらいの年だったから本当にはまりました。だからといって家出しようとかバイク盗もうとかって思ったわけじゃないのですが。普通の中学生でしたし。だけどなんかこう この生活で面白いのかなって思っていたことは確かなんじゃないかと思います。」
尾崎は彼女たちの代弁者だったのだ。物質的享楽を楽しみつづける時代の寵児たちへの反逆者だった。その態度は大人たちから見れば「ふまじめ」な内容を「まじめ」に語っていた。それはこの時代ではもっとも「ださい」行為であったはずだが多くの若者を熱狂させたのだ。そのねじれとも捉えられうるずれは何から起こっているのだろうか。
彼女との会話は続く。
「そんなこんなで別に普通に高校生になりましたね。そしたら学校がやたらピリピリしてましたね。荒れる学校とかで先生が何とかしよう、押さえ込もうって必死でしたね。それこそものさしもって校門の前に先生がいるとか朝のチャイムと共に校門しめちゃうとか。そこら辺からもう学校がいやになりましたね。それで中学校のときはなんとなくだったのに高校なったら尾崎〜って感じですね。あぁ、私にも尾崎の気持ちが本当に理解できたんだなって。中学までは別にそれほど管理されている気はなかったけどもう高校では爆発。本当にひどいものでした。尾崎もこんなこと考えてたのかなって思ったりして何とか紛らわせてましたね。」
80年代日本はその解放的繁栄の影にさまざまな抑圧がうずくまっていた。すべてが意味なき記号となり世界にあふれ出す。数えきらない数の横文字のブランド、軽い感じのヤツらが豪遊する姿。企業を見てもバカみたいに不動産に手を出し続ける。先祖が土地さえ持ってればそれだけで莫大な財を築けてしまう。それがまるで永遠に続くかのように錯覚しながら。そのような現状を見せられていながら「いま真面目に勉強したら」みたいな言葉をどの子供が信じるだろうか。飼いならそうとしている先生や大人たちも浮かれ行く日々を満喫していたのだ。例えば横文字の化粧品を次から次へと使っていたではないか。一方で時代特有の快楽を享受し他方で子供たちを縛り付ける。それで反抗しない子供はむしろ問題があるくらいではなかろうか。彼女の尾崎への傾倒は決定的なものへとなっていく。


3rd chapter―潜熱と物質 そして依存―

「結局高校まで出て働き始めました。そこでもなんかもやもやしてましたね。みんな自分の自慢ばっかりみたいな。やっぱりまだ浮ついていましたね、みんな。それで対して実力もないくせに成りあがれるってみんな考えてたかも。言われてみると三高なんて言葉もあったわね。あれもやっぱりバブルの影響なのかな。」
彼女は就職の後も「大人」たちに苛立ちを覚えた。浮つき戯れる大人たちを。しかし私は少し「ずれ」を感じ始めていた。尾崎は10代に立て続けに3枚のアルバムを発売した。その中で最後のタイトルは「壊れた扉から」であった。尾崎は己の前に立ちはだかる壁を壊そうという歌を歌ってきた。扉があれば蹴破ると思われた。しかし扉は壊れていたのだ。すでに壊れていたのだ。その変化は確実に尾崎を襲っていたと思われる。そして間違いなく苦しめていたはずだ。しかしそのようなことを彼女は考えていない。変わりなく現存する扉の存在を信じている。
彼女はのってきた。さらに話は続く。
「それに一番嫌だったのはみんな大学でてることだったかな。女子でも私の世代あたりから爆発的に進学率が上がったと思うんですよ。結局4年間遊ぶだけでしょうけどね。けど、やっぱり大学出てたら待遇が違うわけですよね。仕事できるかどうかなんて関係ないのに。それに女の子も何でか高学歴好きでしたよね。それに男の子もなんかでた大学の自慢話ばっかだった気がしますね。今風で言うなら合コンとかでも相手はどこでてどこに勤めてるとかばっかで。東大だ早稲田だ立教だってね。本当にうれしそうに披露するわけ。もうどうでもいいことなのに。いい大学でたからって何にもならないのに。大学が何だって言うのよ。」

「けど須藤さん(ソニー時代に尾崎豊をプロデュースした。尾崎のよき理解であり、疑心暗鬼に陥っていく尾崎自身も最後まで信頼していたようだ。)は東大でてますよ。」
初めて私が大きく介入する。いじわるな質問だと思いつつ。
しばし沈黙が続く。私はちょっとした反論を期待していたのだが。怒られてもいいかとも思ったのだが。 五月晴れの中、吹き抜ける丘陵の風は生暖かい。
もちろん沈黙しているとはいえ彼女の言わんとしていることは私にもわかる。どんなに学校の勉強ができてもそれが人間の評価としては極々限られた一面に過ぎないと思っていたのだろう。また彼女はそうは考えていないだろうが、もう一歩踏み込んでいうと学歴自体大量消費社会の記号以上の何物でもなかった。しかし その一方で彼女の言葉が尾崎豊に心を寄せるファンの弱さにも思えてならなかった。いや、それは確信に変わっていた。それは「感受性」が高いことだ。敏感に「世界」を感じるふりをする感受性が強いのだ。学歴がすべてではない、みたいな言説はもう使い古された言葉だ。それはいくら使い古されようが少なからず真実である。しかし それを口にする多くの人間は己の感情浄化のためにそれを如実に感じたふりをしているだけではなかろうか。それは学歴の話ばかりではない。むしろ彼女の学歴発言だけを字面通りに受け取れば ことを矮小化させかねない。その感じたフリは尾崎豊に対する想いを通じて彼女自身に表象するものすべてに当てはまる。「代弁者」尾崎に強く、強く「共感」を覚えること−その「共感」は「意味」を求め続けた尾崎を、意味ではなく今を生きる「知恵」で迎え入れる行為ではなかろうか。つまり意味を求める詞に「共感」することにより自らも意味を探求しようとしたわけではなく、今いきていることに張り合いを持たせる「テンション」だったのではなかろうか。さらにそれは己に直接「自己肯定」という形で目に見えて利益を返してくれる。よって彼女にとって尾崎とは代替可能性すらあったのではとさえ思う。彼女は別に大人への反抗者なら誰でも良かったのではなかろうか。それに自己を投影しテンションを得つつ肯定される自分を確認しさえすれば。彼女は「ジャンヌダルク」がいればよかったのだ。いや、先導者(扇動者)でなくてもいい。彼女の傷を癒し、彼女自身を肯定してくれる男性が一人いただけで変わったかもしれない。

私は次の言葉を欲していた。いま考えていることを簡潔に、そして途轍もなく婉曲に表象された言葉を欲していた。
「浜田省吾じゃだめなのですか?」
悪くはないフリだと思った。しかしこの程度が精一杯だったとも言える。
「う〜ん・・・なんとなくね。見た目もやっぱりあるかな。」
それが答えだった。私が想像していたものと同じであった。その答えは私に大いなる確信をもたらした。尾崎は、鏡だ。思うが侭に自己を映してくれる鏡に過ぎない。皆の鏡だ。思うように映ってくれる代替可能な鏡なのだ。 君は何を想い 今、この地に眠る

 最後にもう一つだけ私は尋ねた。彼の歌はやっぱり初期のころがいいのかと。
「そうですね。別に後期の歌が嫌いというわけじゃないのですが総合的にはやっぱり前期の方が好きですね。後のほうはちょっとわかりづらいですよね。それに勢いなく迷っている感じがあるというか。」
迷い 尾崎豊の20代は迷いであった。10代の頃はわかりやすい反抗の象徴である大人があった。しかし自らも「大人」になっていく過程で彼は言葉を失いつつあった。挙げた拳を落とす場所を探していた。そのときの詞は直接的に表象される要素が少ないので人気は出づらいかもしれない。しかしそれも含めていまを語ろうとする言説は本来みなが通る道ではないか。そのわかりにくさも含めて感じることが成長の証なのではなかろうか。その前提にたつと彼女の言い分は幼く思えてしまう。


80年代、日本は驚異的な経済成長を見せた。そのありさまは「世界の奇跡」ともてはやされた。日本が世界の中心になると本気で思っていた知識人もそう少なくはなかった。そのような異常な好景気の下で当然のように大量消費社会は押し寄せてきた。その一つ一つのファクターは流れ行く日々の中で同様に激流となり流されていくだけであった―ほんの一瞬だけ我々の前をきらびやかに通過して。もっとわかりやすく言おう。すべてがいま一瞬だけ閃光を放つとすぐに過去のものとなる大量消費社会の到来だ。ブランド物を皆がこぞって買い、ハイティーンアイドルがもてはやされた。ネアカ、ぶりっ子なる言葉まで出てきた。しかしどれも永続性は一切ない。すべてが代替可能なのだ。そのような社会にあって尾崎の言説は時代から排除されてもおかしくないものであったはずだ。しかし彼は「伝説」となった。彼は浮ついた時代の人々に受けた。しかし、だがらといって彼の「反抗」がそのまま受け入れられたと考えるのは、正直難しい。多くのファンは彼を通してカタルシスを感じていただけであろう。その安心感も所詮 記号の産物だったのだ。彼を受け入れた人々も多くは彼が非難したものたちと同類だったのだ。残念なこと、といっていいかどうかわからないが、そうであったことは間違いない。


Final chapter−岐路〜選択なき「選択」―

 時代の影響という束縛のみが存在する状態ですら自由でないと定義するならば、この世に「支配からの卒業」はない。しかし、それでも―いやそれだからこそ―尾崎は”confession for exist”(彼のラストアルバムのタイトル 死後に発売された)をしていく決意を晩年に固めていた。しかしそれはなされることがないまま尾崎は人生の舞台から転げ落ちた。


 唐突だが最後に一つ付け加えよう。いま日本は空前の韓国ドラマブームだ。冬のソナタ主演のペ・ヨンジャン氏は「ヨン様」の愛称で本国以上に人気者である。日本では久しく見なくなった純愛ストーリーに優しい笑顔の中に確固たる「意味」をもつ主人公。それが人気の秘密だろうと私は思う。雑誌にもよく登場している。しかし「ヨン様」が取り上げられる雑誌はnon-noやJJばかりか oggiまで年齢層を上げてもまだ出てこない。出てくるのは週間女性、女性セブンあたりだ。その読者の多くは30台中頃前後であろう。確かに空港などで「ヨン様!」と叫んでいる方々はほとんどがその年代だ。1960年代後半から70年代前半生まれ、つまり彼女たちは尾崎豊に熱狂した世代なのだ。尾崎豊に注ぎ込んだ「意味」への情熱を今も捨てられずに(傍からみれば)この年になってまで隣国のスターに求めているように思えてならない。やはりわかりやすい対抗軸を作り「意味」を求める生き方を捨てられずにいる人は未だ多くいる。その多くが意味なき記号に陥っているなぞとは思いもせずに。


事後談
まずはじめに断っておきますとこの文で解き放たれた剣の半分は私に向けられたものです。
それにより免罪を欲しているわけではありません。
その刃の一身は私の中に今も存在し、時に顕在化してしまうことを伝えたかったのみです。


意味を求めず始めから強度に生きるのか。意味を求めて「バカ」らしく生きるのか。意味を求めてカタルシスに陥るのか。他の選択肢を選ぶのか。
この選択肢にどのように優劣をつければいいのかはまだわかりません。


さて何故、私が尾崎豊を選んだのかといいますと80年代を語るファクターとして彼を選びました。例えば1960年からの私の頭の中にある流れは 優等生闘争の60年安保→ベトナム戦争→70年安保→虚無感、ヒッピー→奇跡の成長、記号化→グローバル化、ロストディケード→団塊の世代の定年と、その子供であるバブル世代の中心的生産世代化などと勝手にイメージしています。
その中で「奇跡の成長と記号化」の時代の一つのファクターとして彼を取り上げました。
つまり尾崎を通して時代を少しでも語りたかったのです。時代、社会を語ることができればそれが力となりうる。無限波及効果の第一波にもなりうる。そう「夢見る」私も「尾崎的」なだけなのかもしれません。

参考文献
西口徹(編集人)「文芸別冊 尾崎豊」2001年 河出書房
吉岡忍「放熱の行方」2001年 講談社

参考CD
尾崎豊「十七歳の地図 SEVENTEEN’S MAP」1983年 ソニーレコード
   「回帰線 TROPIC OF GRADUATION」1985年 ソニーレコード
   「壊れた扉から THROUGH THE BROKEN DOOR」1985年 ソニーレコード
   「街路樹」1988年 イーストウエストジャパン
   「誕生 BIRTH」1990年 ソニーレコード
   「放熱への証 CONFESSION FOR EXIST」1992年 ソニーレコード

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時刻: 2005年5月23日 09:22
コメント

 おはようございます!ぱんだといいます♪
すごいブログですね〜
読み応え十分です!

私、尾崎好きなんですよね。
尾崎とともに青春時代を過ごしました。
彼の魂の叫びが、私の心をゆさぶります。
昨日、尾崎について投稿したところなので、
よかったらお寄りください。
コメントなんぞいただけると倍うれしかです!
ではまた!(*^w歐*)

投稿者 by: ぱんだ at 2005年5月23日 09:12

>ぱんださん
もうこの記事を書いてから一年ですね。今読むと肩肘が張りすぎかな、という感も否めないのですがまあ言いたいことは無理やりながら書いていますね(笑
私は尾崎豊をリアルタイムで知っているわけではないですし、ファンというわけでもないのですがどこかでひっかかるのですよね。彼の考え方とかが・・・

投稿者 by: tak@taknews.net at 2005年6月 6日 18:43

Hello Web Admin, I noticed that your On-Page SEO is is missing a few factors, for one you do not use all three H tags in your post, also I notice that you are not using bold or italics properly in your SEO optimization. On-Page SEO means more now than ever since the new Google update: Panda. No longer are backlinks and simply pinging or sending out a RSS feed the key to getting Google PageRank or Alexa Rankings, You now NEED On-Page SEO. So what is good On-Page SEO?First your keyword must appear in the title.Then it must appear in the URL.You have to optimize your keyword and make sure that it has a nice keyword density of 3-5% in your article with relevant LSI (Latent Semantic Indexing). Then you should spread all H1,H2,H3 tags in your article.Your Keyword should appear in your first paragraph and in the last sentence of the page. You should have relevant usage of Bold and italics of your keyword.There should be one internal link to a page on your blog and you should have one image with an alt tag that has your keyword....wait there's even more Now what if i told you there was a simple Wordpress plugin that does all the On-Page SEO, and automatically for you? That's right AUTOMATICALLY, just watch this 4minute video for more information at. Seo Plugin

投稿者 by: seo at 2013年7月27日 14:59
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