2005年 2月 28日

「体感」としての音楽文化

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白いイヤホン
 街にでよう。そして道行く人の耳元をじっと観察する。ほら、あったあった白いイヤホンが。この一年ほどで爆発的に増えた「白いイヤホン」。その正体はiPodだ。「ネコも杓子も」とまでは言わないが、一日繁華街を歩けばあれよあれよと目に飛び込んでくる。しかし、このiPod人気はただのブームとしてだけ処理できる問題ではない。その裏には今後の音楽のあり方を見極めるヒントが詰まっているのみならず、文化全般のあり方にまで問題を投げかけている。つまりiPodの考察はただの「流行りもん」チェック以上の価値があるのだ。

iPod
 世界初のハードディスク搭載ミュージックプレーヤー・iPodの歴史は僅か三年強しかさかのぼることができない。2001年10月に初代iPodは発売され(Apple社プレスリリース http://www.apple.com/pr/library/2001/oct/23ipod.html)その後ほぼ一年に一回の代替わりを重ね、現在では第四世代にまでなっている。またサイズの小さなiPod miniと第四世代の上位機種としてiPod photoも発売されている。わずか三年でこれだけの新製品を世に送出し、累計出荷台数1000万台を超える大ヒットを記録し続けているiPodの特徴は何だろうか。
 それはやはり、大量の曲を手軽に持ち運べることだろう。もっとも容量の小さいiPod miniでさえ約1000曲も収録可能である。これでも多くの人にとっては必要十分な曲数であろう。音楽鑑賞を趣味としているのであれば40ギガのiPodにすれば10000曲入る。これでほとんど問題はない。
 100グラムあまりの箱の中に、持っているCDがすべて入ってしまうことは何を意味するのだろうか。まずは利便性が大幅に向上した。レコードからCDへの変化は携帯性を一気に高めた。そして かばんにしまって持ち運べるサイズにまで小さくなった音楽は、iPodの出現によりすべてが片手に収まってしまうようになった。この利便性は革新的であり、私たちの常識を悉く覆したと言ってもいい。

圧縮音源
 しかし根本から考えると、現在の音楽のあり方を変えたのはiPodではない。iPodがあっても圧縮技術がなければ何の変化もない。つまりハード面の変容は、ソフト面での革新に支えられているのだ。その「革新」である音声圧縮技術は、フラウンホーファー研究所からはじまった。1980年代半ばにドイツの同研究所(http://www.iis.fraunhofer.de/amm/index.html)が音声圧縮技術の研究を開始した。そして同研究所は1989年にはドイツでMP3(*1)の特許を取得している。しかし、実際に一般人がこぞって使用する環境が整ったのは、1998年にWinampが無料のMP3の再生できる音楽プレーヤーとして誕生してからといっていい。そうなると圧縮音源が世に広まってからの歴史は僅か6年あまりなのである。それが今となっては音楽の所持形態を根底から揺るがしうる存在となっているのだ。
 変化しうるのは音楽の所持形態だけではない。音楽そのものの購入スタイルも大きく変化する可能性があるのだ。それはネットを通じての音楽購入である。日本への上陸は権利処理の問題などがあり まだであるが、アメリカではApple社のiTunes Music Store(以下iTMS)が人気を博している。ここで少々iTMSの説明をしよう。iTMSとはApple社の音楽配信サービスである。曲を一曲単位で購入することができ、価格もアメリカの場合一曲99セントと極めて安い。自宅でいつでも手軽に安価に購入できることもあり、2005年1月24日には累計2億5000万曲が購入され、1日当たりのダウンロードは125万曲にも上っている(Apple社プレスリリース http://www.apple.com/pr/library/2005/jan/24itms.html)。この勢いを見る限り、日本に上陸すれば台風の目となるだろう。もしかしたら、CDを通して音源を購入するというスタイルが淘汰されてしまうかもしれない。

ツールとして
 しかし一つ興味深いことがある。それはこの配信技術が主流となれば、わざわざ音質を落とした音源を購入することになる。iTMSは現在 圧縮技術はAAC(*2)を使用し、ビットレート(*3)は128kbpsで音楽を配信している。様々な評価はあるが、レコードからCDの変化は「音の革命」ともてはやされた。しかしCDから圧縮音源の変化は明らかに音質を落としている。事実私がCD音源とそれをAAC(128kbps)に圧縮したものをブラインドテストをしてみると、音が悪いと評価した方はAACであった。それもなんとなくではなく、自信を持って音が悪い方を選択できた。Apple社はDolby Laboratoriesの情報を元に「AACを使って128kbps(ステレオ)で圧縮したオーディオは、オリジナルの非圧縮オーディオと「区別がつかない」と専門家に評価されました」と述べている(引用元http://www.apple.com/jp/mpeg4/aac/)が、私にはCCCDのようにスピーカーの前にものがあるような、こもった音に聞こえてしまう。
 ここで疑問が沸くのは新たな「道具」が発達すればそれに使われてしまうのではないかということだ。今回の例で言うならば圧縮技術が出てきたが「ため」に、圧縮音源はCDと同じ音質で素晴らしいものだと「信じて」しまい、さも自分の持っているCDすべてを「小さな箱」にすべていれて持ちはこば「されて」いるのではなかろうか。そしていつしか圧縮音源が音の「基準」となってしまうのではないか。iPodが流行ってしまったがために「白いイヤホン」がつけたくなり、iRiverやCreative(*4)ではだめになってしまっていないだろうか。それらの可能性を考えると、iPodの人気という現象を超えて私たちの文化の「あり方」にまで問いを投げかけてくる。

「音を極める」〜エイフル〜
 そのような事実があるためか、圧縮音源やポータブルミュージックなどの手軽な音楽に抗する「音楽」もある。それはピュアオーディオだ。ピュアオーディオの定義は原音に忠実(純粋 ピュア)な音楽を聴こうという方向性であると言っていいだろう。そのピュアオーディオは変遷する音楽の中で、どうなっていくのかを考えることも一つの示唆になる。そう思った私はヴィンテージオーディオショップのエイフル(http://www.eifl.co.jp/)を伺った。場所は新宿より約一時間、狭山市駅から歩いて十分ほどのところにある。ショップというよりも町工場に近い佇まいは、ただ高級なオーディオ製品を右から左に売りさばくのではなく、ショップ自らが新たな製品を作っていこうという古きよき「工房」のイメージであった。早速、店舗二階でレコードとCDに囲まれながら代表取締役 若林 鋼二氏に話を聞いた。まずは創業などの背景から尋ねた。

 「創業は1989年の10月です。客層は国内ですと顧客リストに載っているのが6000人ほどです。まあお客さんはオーディオマニアですね。あと輸出が売り上げの20(%)くらいあるので外国にいっぱいいるんだけど それはリストを作っていません。年齢層はやっぱり年配の方が多いです。んー若い人は今はパソコンの方に走っていますからね」

 ニッチ産業に思えていたが、顧客は決して少なくないのではなかろうか。年配世代の趣味としてオーディオが、まだまだ生きていることを十分示すことができる数値だ。また図らずも「パソコン」という言葉を聴き、一つの世代間の狭間を感じることができた。続けて、その狭間を確認するべく顧客の変化について聞いた。

 「オーディオマニアは昔から好きな人がほとんどだね。いきなりオーディオ好きになる人はほとんどいないね。だから、やっぱり老齢化が進んでいて、お客さんが亡くなるということもあるね。この商売は、先が明るいとはいえないね(笑)次世代となると、うーん少ないよね、やっぱり。マーケットは縮小傾向だよね」

 やはり若い世代の顧客はなかなかいないようだ。どうしてもオーディオに興味を持つ「環境」がないのだろう。気がつけばCDラジカセかミニコンポで 流行歌を聴くだけの音楽環境しかなかった。オーディオを趣味としている人は周りにいなかった。「流し聞きのためのカーラジオ」や「音の割れるラジカセ」で育った若い世代にはなかなか興味がわかないのも無理はない。続いて自分が知らない「レコード」を知るためにも、レコードからCDへの変化を聞いた。

 「CDが出たときはみんな革命だって騒いだよね。けど今はやっぱり、アナログに戻ってくる動きがあります。もちろんデジタルが伸びてくると思うけれども、やっぱりデジタルは一種の圧縮でしょ。情報量がアナログに比べて圧倒的に少ないね。けどCDもいいところはあるんだよ。ダイナミックレンジ(*5)は広いし、持ち運びは簡単だね。車の中でレコードは聞けないしね。流れはデジタルなのは間違いないね。」

 現実としてはレコードの生産枚数が増えることはまずなかろう。今も作ってはいるが、ディスクジョッキーなど限られた人だけが必要としているだけだ。利便性も考えるとデジタル主流の現状は変わることは、ない。その現状で私たちはもはやレコードの音に触れる機会はない。その現状でアナログはデジタル世代に受け入れられるのだろうか。そしてそのよさを基準を持って判断できるのだろうか。その点を聞いてみた。

 「デジタルの録音やっている人たちもね、デジタルだけでずーっとやっていくと つまんない音になると気づいてきているわけよ。だから音源がある程度出来上がった段階でアナログ(*6)の回路を通すんですよ。そうするとね、面白くなるんだよ。」

 単純な測定器から出てくる数値ではない。もちろん理論的には真空管アンプは反応速度の速さ、裸特性のよさ、適度な歪、負帰還の少なさなどが上げられよう。しかしその理論は後付でいい。本当に「面白い」と体感できる音、それがいい音なのだ。そこで出会うのが「アナログ」なのだ。その後、まさにデジタルの申し子とも言えるiTMSなどによる音楽配信の普及について意見を求めると、若林氏はフルトヴェングラー(*7)亡き後にベルリン・フィルの主席についたカラヤン(*8)を例に出して、ビジネスとして成功することが音楽文化を支える可能性があることも指摘した。

 「カラヤンさんは悪く言う人もいっぱいいるけど、彼の功績は録音した音源を世界に発信してくれたことがあげられるね。カラヤンさんはベルリンの指揮者になったんだけど、その前にチェリビダッケ(*9)さんもいたんだ。彼の音楽の方が質が上だという人が多かったわけよ。けど彼は(ベルリン・フィルの指揮者に)ならなかったんだ。なぜならなかったといったら、チェリビダッケさんは録音したのが嫌いだったわけ。ところがカラヤンさんはそれが大好きなわけだよ。録音したレコードに自分の写真を貼り付けてね、今までそういう人はいないと思うんだ。けどそういうことがベルリン・フィルの財政的基盤を作っていたわけだよね。芸術だけではやっていけないわけだから。僕もチェリビダッケさんの方が好きだけど、カラヤンさんの方がなってよかったという気もするんだよ。音楽の普及には彼は貢献したしね。けど僕はカラヤンさんの演奏は聞きたくないね(笑)。あまりにも面白みがないから」

 多分日本人の中で一番有名な指揮者は小沢征爾とカラヤンであろう。聞いたことがなくても一度は耳にしたことがあるカラヤンの名。その「知名度」自体が音楽の普及に多大なる貢献をした彼の功績の証なのであろう。クラシックファンの評価はどうあれ、世界中に「こんな良い音楽があるんだ」と示し続けた功績は計り知れない。そして音楽のネット販売技術が「カラヤン」の代わりをしてくれて、世界中に今まで手に取る機会もなかった音楽を非常に安価で提供してくれるようになる可能性がある。その大いなる可能性を踏まえて音楽のネット販売についてさらに聞いた。

 「僕はいつでも音楽のいいものは伝わると思うんだよ。『こんないい曲があるんだ』と思ってね『それならもっといい音で聴きたい』という人も出てくると思うんだよ。そうなればこういうの(ネット販売)もいいと思うね。」

 頑なになっていても始まらない。iTMSは「カラヤン」となって次世代に大量の音楽のストックを継承する役割を担ってくれるはずだ。しかし、そのためには一人一人が自分でジャッジする力が試される。私たちは単純に「新しいものはいいと受け入れてしまうのではないだろうか。その疑問をぶつけた。

 「日本人は古いものを大事にしないよね。それはもう明らかだよね。進歩主義というかね、時代は常に進歩していくという考え方があると思うんだよね。安易にね、新しいものが出たらそてが良いと言って、古いものは捨てる。外国ではそんなことしないよね。どんなものでもいいところも悪いところもあるんだよ。そういう意味では日本人は軽薄だよね。」

 大手メーカーに25年間勤められた後に、エイフルを立ち上げた。勝手な想像で恐縮だが、大手メーカー時代はそれなりに安定した立場であっただろう。多分金銭的にはいまよりはずっと楽な生活だっただろう。しかもエイフルを興した1989年はバブルの絶頂期である。同じ独立でも金銭的にもっと儲かると思われてものもいくつもあったであろう。もちろんメーカーに残っても安定的な立場は確固たるものである時代だったのではないだろうか。そして話は「生き方」へと向かう。

 「金銭的にはもっと楽な生き方があるのは間違いないよね。やっぱりそのほうが楽でいいんだろうけど、それで人生終わるのもきっと悔いが残るよね。一回しかないんだから、なんかやったんだっていう満足感がないと。自己満足でもいいから、何かやらないとね。」

 音楽そのものとはだいぶ離れてしまったが、若林氏の生き様が氏の音楽のスタンスを形成しているのは間違いない。時代の潮流による尺度に揺らされずに良いものを判定していこうというスタンス。その結果が音楽ではヴィンテージオーディオによる「面白さ」を体感。仕事はそのオーディオのショップを開くという決断。すべてがバックグランドとして人類の英知の上に形成される自己の基準を元としている。

 最後に一階の試聴室で音楽を聞かせていただいた。それはもう素晴らしいものであった。音が前後、左右、上下に広がり、眼前にオーケストラが広がるのだ。ピアノは指の動きが感じられ、ヴォーカルは唇のウェット感も伝わってくる。そしてどれも「実体」が目の前に浮かぶ感覚に襲われるのだ。私は一瞬にして真の聴衆となった。
 この音を聞いてもチェリビダッケは「録音は墓場だ」と言うだろうか。たぶん彼ならそれでも「墓場だ」というだろう。それは彼自身が絶対的尺度を脱ぎ去り、常に瞬間瞬間に世界を創作していたからだと、私は考える。しかし同時に違う感覚も覚える。それは私たちが「現場」に召還されているのではないだろうか。空間と時空を超えてその演奏会場に「召されている」のではないか。事実私は視聴したソファーからスピーカーまでの距離を全く思い出せない。考えれば考えるほど、頭の中の「スピーカー」が前後に、前後に動いてしまうのだ。それは「現場に召された」私の身体が感じた距離を振り返っているのであって、決して実際の私とスピーカーの位置関係を思い出しているわけではないからだ。この体験は「リアルだ」とか語呂を並べたところで他人に共有できるものではない。このようなものを若いうちから体験できる場(それはオーディオ装置だけでなくて生の演奏会なども含む)が身近にあれば、感性は磨かれるだろうと強く感じ、ある種の酩酊状態で帰途についた。
 余談になるが帰宅後、自分システムで音楽を聴いたら、あまりのくだらなさにショックを受けたのだった。それでも一般家庭よりよっぽど「面白い」音が鳴るシステムだと思うのだが。


旧きものとの出会い〜andup〜
 一方、iPodの出現をある種「逆手」にとって、そのテクノロジーは生かしつつ「楽しもう」という発想をされた方もいる。andup(http://www.and-up.net/)のオーナー・石井健之氏だ。氏はiPodから音楽をFMトランスミッター(*10)で飛ばして、オールドラジオで聞くことを考え付いた。それを提示している場が北青山のマンションの一室にあるandupなのだ。創設は2004年3月とまだ一年ほどしか歴史がないショップである。しかし後発組ではない。きっと世界初だ。
 心地よいジャズの音色がヴィンテージラジオより流れる店内でお話を伺った。まずは創業の経緯について聞いた。

 「僕は今までデザインとかアートをやってきて、また多くのいろいろな分野の人に会ってきました。その中で若いときの気持ちで言うと『工房』を目指していました。ギルド制で、その中で彫刻を勉強していたわけだけど。そうすると親方がいてスタイルがあって、その中で親方が100%一対一でコーディネイトするんだよね。そういう中でできることを片方では望んでいて、一方では『こうあったらいいよね』というものに対してどうもしっくりこない。だけどそれをトータルしてまとめるのが非常に難しくて、宗教とか次元が違うところいっちゃうわけだよね。でもそれはちょとまてよ、僕のできるスタンスではない。そう思っていたときに『ああ、そうか これはiPodがある。』と気づいたわけですね。今の時代は何でもすぐに新しいものに変えてしまうわけですよ。けど僕は古いフィルターを通して今を見たらどうなるかな、と思って古いラジオを置いといたんですよ。それでたまたまiPodで鳴らしてみたら、これがよかった」さらに創業までのエピソードは続き、Appleの理念へと進んでいった。

 「僕はマックを15年くらい使っているけれども、Appleの理念がわかってきた。生活の中にただ道具・機械ではなくて根付いてきているんだね。iPodを古い真空管ラジオにつなげるなんてAppleは考えてなかっただろうけど、結果それができるようになってるんだよね。それでその良さに気づいた人は幸せなことだねって思って、それをわかってもらうために実際に伝えていこうと。まあ、それが始まりですね」

 第一問目の投げかけに、これだけの話が聞けたことは単純にうれしかった。ただ真空管ラジオが古いから、昔のアンティークラジオの雰囲気がなんとなく流行りそうだから、というレベルではない。今までの人生の「しっくりこなさ」をなんとか「しっくりさせる」活動の一環であったのだ。流れ行く日々の中で、共に流れていく「もの」に対する私たちの軽薄な態度に対する想いが新たな可能性を生んだのだ。そしてその可能性が新たな生活に密着している新技術と融合したのだ。続いて客層について聞いた。

 「客層は若い人から年配の方まで幅広いです。大体の人がジャズ好きですね。年配の方はアナログのレコードを聴いていて音楽に対する『基準』がある人が多いです。音楽を聴くのをやめていたけれども、ここにきて気持ちが呼び覚まされたという人たちです。あとはレコードやアンティークラジオを全く聴いたことがない若い方も『いいですね』といってくれるね」

 店内に並ぶラジオたちの値段は若者にとっては決して安いものではない。それに彼らは真空管はおろかラジオでさえさほど聞いてこなかった世代なのだ。その彼らが「いい」という感覚は非常に興味深い。この感覚は間違いなく「体感」としていい音とめぐり合っているのだ。その感覚を提供してくれる伝道師が石井氏なのだ。続いて石井氏にアンティークラジオの組み合わせの魅力を聞いた。

 「昔のラジオがある空間は暖かかったのです。古い車に乗ってもラジオをBGMにして会話があった。そこには人とのその瞬間瞬間を大事にする一期一会の精神があったのですよ。それを提供していたのが暖かさを醸し出す古きよきラジオたちだったのです。それを人間が忘れていてのだけれども、いま前に向かっても もう行き詰っちゃっている。そこではっと後ろを見ると今までと違ったものが見えてくるのですよ。そうしたら後ろにそのアンティークラジオがあった。今までは新しい道具ができると、すぐに人間は飛びついていた。デジタルがでればデジタルがいいと飛びついて、パンフレットを見て『ここがいい』とかと言っていたわけですね。そうじゃなく自分がいいと思えるものを使う。そういう時代なのじゃないかな」

 それは「失われた十年」のある種の産物だったのかもしれない。前を向いてもそこに道は見えず、閉塞感があたり一面に広がる。現実の結果としても職もなく、経済的に相当苦しい状況に陥った人々が少なからずいる。そのような社会だからこそ「後ろ」からの呼びかけに振り返ることができるようになったのかもしれない。その一つがアンティークラジオからの「声」だったのだ。体感として「暖かさ」を提供してくれる古きよきものを再認識したのだ。しかし、その感覚は万人に共有されているものだろうか。私はどうしても、そうは思えない。選択肢を時代という枠で絞って、選択しているふりをしている人がほとんどではないか。その考えに対して石井氏はこう答えた。

 「残念だけど(日本人の持つ)基準が伝統というものを無視しすぎているよね。もちろんチョイスとして新しいものがあるのはいいのだけれども、それをちゃんと選べるようなスタンスが世の中になければいけないよね。それは現状では確実にない。そのような価値観を形成していき伝統の相互理解をしていかなければ、グローバライゼーションに飲みこまれてiPodに対してお金を払うだけのロボットになってしまうだけです」

 石井氏の伝えたいことは「昔はよかった」などという小さな話ではない。伝統という長年の蓄積を自分が吸収した上でこそ、新たなものへの評価ができるということなのだ。何も古いからいいのではない。長年培われてきた人間文化の「基準」があって初めて、ものごとの評価が可能となるのだ。今までの積み重ねの中で物事を見極めることによって、新たなものをただ「新しい」からという理由で使う「奴隷」とならない考えがそこにはある。そして流れ行く日々をただ単純に「流さない」人間重視の視点も強く感じられた。そして最後に石井氏は自分のショップのスタンスを料理を例に話された。

 「料理でもレシピを見るだけで味がわかる人もいれば、においをかいでわかる人もいるしいろいろなタイプがいるわけですよ。けど僕は味わってもらいたい。実際に味わってもらって、それでおいしかったか判断して欲しい」

 インタビュー後は早速「味わう」ことをさせて頂いた。一台一台すべて違った音を持っており面白かった。それぞれが個性を放っている。ちょっとスピードのあるナンバーもがんばれる派手なやつ、ゆったりともたつくけどどこか憎めないやつ。すべてが自分の「味」を持っていた。また全般的に音に奥行きがあった。音域を考えればかなり狭くなっている。低音も高音もなくなっている。それにどうしても雑音も多い。しかし、何か「面白さ」がある音色なのだ。匂いがあると言ってもいいかもしれない。奥行きがあって、心地よくて、人間味あふれる。そんな音を提供してくれる。そして全く聞き疲れがしない。インタビュー時間も含めて二時間ずっと聞いていたのだが全く聞き疲れは覚えなかった。耳につく高音はカットされ、心地いいヴォーカルの帯域が体に染みる。これなら大量の曲が入っているiPodをジュークボックスとして使えばかなり楽しめるな、と素直に感じた。


新たな「出会い」〜レコミュニ〜
 最後にネットを介しての音楽配信をみてみよう。iTMSの日本上陸はまだではあるが、すでに数社が音楽配信ビジネスに乗り出している。だが各社共に軌道に乗っているとはいえない。その音楽配信市場に昨年参入した企業がある。株式会社レコミュニ(http://recommuni.jp/)だ。このレコミュニ、他の各社とは全く違う発想で運営されているのだ。
 まずはレコミュニのシステムについて説明しよう。レコミュニは参加型音楽配信コミュニティを提唱し、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(*11 表記は以下SNS)とネットでの音楽配信を組み合わせたサービスを実施している。会員になるには既存会員からの招待が必要であり、サイト上では他社のSNS同様に会員同士のやりとりが行われている。そのような「コミュニティ」のある音楽配信だけでも他社には当然みられないが、特筆すべきところは配信する音楽は会員が自ら選曲・圧縮・アップロードする点だ。このような今までと違うネット配信を提唱している株式会社レコミュニの代表取締役 福岡智彦氏に話を伺った。まずは創設の経緯を聞いた。

 「立ち上げたのはアイデアありきですね。僕は以前ソニー・ミュージックで長いことディレクターをしていて、音楽配信ビジネスも経験しました。昨年退社して、イーライセンスの三野さん(*12)と『音楽配信も面白くないと流行らないよね』って軽く雑談 で話していたのですね。そこからはじまりました。」

 アイデアありきの「乗りかかった舟」で走り出したと言えば少々聞こえは悪い。しかしその裏には福岡氏をはじめとする音楽産業に関わっている人々の、現状に対する煮え切らない想いと音楽に対する熱い想いがあったのだ。

 「CDの売上が年々落ちて、レコード会社はどこもそうなんですが、もうソニーでも、僕がよいと思う音楽を創らせてもらえるような状況ではありませんでした。すぐに売れそうなものしかできない。だから、一つヒットするとそれに似たものがいくつも出てくるようなことになる。そうするとなんか一過性のブームのようになってしまって、アーティストそれぞれはがんばっていても、ブームといっしょに短期間で忘れられてしまう。それで一年も売れなければ契約解消ですし。経営的にたいへんで四の五の言ってられないのでしょうが、今は、未来に残るいい音楽を創る、というような土壌はないでしょうね」

 福岡氏は大手レーベルに所属し、音楽を創ることで新たな文化を形成していくことはもはや不可能であると感じられたのであろう。ではなぜ大手レーベルが「未来にいい音楽を残す」役割をかなぐり捨て、売れそうなものだけを予算内で作るだけの「装置」と化してしまったのであろうか。組織の肥大化だけなら、すぐに潰れてリセットになることもありうる。しかし現実はまがりなりにも続いている。その背景をさらに聞いた。

 「一つのきっかけは1980年代前半にカネボウと資生堂のCM合戦(*13)だと僕は感じています。それらのCMに使われた曲が軒並みヒットしました。そのころからCMのタイアップ曲やドラマの主題歌が突出して売れるようになりましたね。曲の持つポテンシャル以上に売れてしまったのです。以来大手レーベルはその道に乗っかって今まできました。今ではタイアップがないとリリースもできないような状況になっている。けど、それは自らの首を絞める行為なのですよね。」

 この20年余りで大手レーベルは自らをクリエーターであるという地位を悉く破壊してきた。後世に残る音楽文化の形成役を降りたばかりではない。それならまだ会社の勝手だ。しかし、その行為によって文化財と呼ぶに値する音楽の製作を怠ってきた。最近のすべての音楽がダメだというわけではない。しかし、数十年後に「あの頃のヒット曲」として放送される以上の曲をほとんど作ってこなかったことは間違いない。大手レーベルには自らが文化の担い手であるという意識が確実に欠如している。そして福岡氏は、その終焉を迎えつつある製作現場に見切りをつけて、配信する側へと展開した。配信する場を提供し「いい音楽」を供給するために作ったのがレコミュニのシステムなのだ。ネット上のコミュニティの中で、顔の見えるコミュニケーションをする。その過程で自分が気に入った音楽を紹介し、実際にアップロードする。そして興味を持った他の会員が「投げ銭」感覚で曲を購入する。その中でマスメディアを賑わす「売るため」の評価ではない、「下からの声」によって支えられる音楽文化を形成していく。その理想を体現するべくレコミュニを立ち上げたのだ。しかし現実はたやすくはない。

 「2004年10月19日に正式にサービス開始したのですが、苦労は開始してからの方が多いですね。やはりレーベルとの契約が大変ですね。当初は、レコミュニではDRM(*14)をかけていないので大手は難しいだろうけど、インディーズは大丈夫だろうと思っていましたが、現実はインディーズも別の点でいろいろむずかしいところがありますね。」

 インディーズレーベルと何度も何度もやり取りを行った末に一曲の配信権利を得る。しかし現状ではその曲の配信数は20回弱。そのようなこともままあるという。それでもなぜやり続けるのだろうか?それは続けることによってしか変わりえないからだ。今の選択肢はお金にならなくとも続けていくことによってでしか、現状を変革しえないからだ。次に圧縮している、いわば音質を落とした音源を配信することについて聞いた。

 「僕は圧縮音源は『試聴』だと思っています。他の人が『こんないいのあったよ』と薦めてくれたものを手軽にネットから購入して、いいと思えばCDを買う。そういう形になればいいと思ってます。けどやっぱり圧縮音源の音質で満足している人が多いですね。音がいいことへの感動というものもあるので、個人的にはそこはやはり残念です。」

 さらにiTMSの日本上陸後の方策についても立て続けに聞いた。

 「iTMSがきたところで私たちは変わることがありません。iTMSも結局は今までと変わりはないのです。売れそうな曲がメインになるでしょうし、あくまで曲の提供はレーベルからのトップダウンのままですね。売れそうな曲をレーベルが作って売る、という図式に変化はありませんから。レコミュニは下から(一般会員から)の声で配信される音楽が決まるところが完全に違います。」

 新たな音楽との出会いの場が形成されるからこそレコミュニの意味がある。ネット上の顔の見える存在からの紹介。それを介しての新たな音楽との出会い。それを会員側がCDショップと同列に扱っていては何も始まらないのだ。これは私たち一般人が試されているのだ。レコミュニの提唱する音楽文化の創造を理解できず「なんだiTMSに行けば同じくらいの値段でたくさん曲あるじゃん。視聴もできるし。」と判断してしまえば元も子もない。もちろんCDショップに比べてマイナーな音楽にたどり着く可能性は高まるだろうが、やはり新しい曲を作るのはレーベルである事実に変わりはない。過去のストックが生かされる場にはなっても、新しい曲を創る場は相変わらず変わらない。その中で、本当にリスナーが自分で「これはいい」と体感した音楽はなくなっていってしまう。そして最後に福岡氏は自分たちの挑戦についてこう言った。

 「もし仮にレコミュニが失敗しても、その挑戦の記録が残るわけです。その記録が残れば後世にまた『新しいことをやろう』という人たちの参考にもなります。だから(本当にだめになってしまう前の)今のうちにやってみなければと思いました。」

 レコミュニの挑戦は単純にDRMがらみの著作権の問題や、まして音楽配信のビジネスモデルの構築のためだけに集約されるものではない。もっと大きな目的のために作られたのだ。それは私たちの声に真に答えられる音楽配信現場の提供を通じて、「面白い」音楽を残していくためなのだ。レコミュニが日本音楽史に歴史を刻めるのか、その問いは私たちの音楽に対する想いと相関するように思えてならない。


あり方
 今まで3人の音楽に関わる人を見てきたが、それぞれアプローチの方法は違う。エイフル・若林氏はヴィンテージアンプを通して本物の音を究極的に追求している。一方、石井氏はアンティークアンプという古き「フィルター」を通して新しいものを見ようとしている。レコミュニ・福岡氏は本当にリスナーが「いい」と思える音楽を残していこうとしている。アウトプットは明らかに違う。圧縮音源に対するアプローチや考え方もそれぞれ簿妙に異なっている。一見するとそれぞれが相容れない関係に思えてしまう。
 しかし、ここですでに気づかれている方も多いだろう。3人の根底に流れる「思想」は非常に近い。それは私の言葉でまとめるならこうだ。人類の築き上げた伝統を無視せず、「時代性」なる一瞬の尺度に乗らないで判断する自己。自分が「体感」して感動したことを人にも「体感」してもらう場を提供する日々のライフワーク。これらの根幹の部分で共通性を強く感じる。それは心と生活の豊かさにもつながるものである。そしてそれらをまた共感してく人間が、少ないながらもでてくること。それが今まで人類が積み重ねてきた文化であり「体感」なのだ。
 圧縮音源とそれを利用するiPodブームの先に見え隠れするものは、ただの流行考察ではない。圧縮音源を大量にストックし、iPodやパソコンだけで音楽を楽しむことに文句を言うわけではない。それは人それぞれの選択だ。そして選択肢はできるだけ多くあったほうがいい。しかし、その選択が選ばされたものでないのか、という憂慮を皆がし続ける必要がある。その作業は決してたやすいものではなかろう。これまでの文化の積み重ねを考え、かつ日々日常を「体感」していくことが必須である。それは決して易しいことではない。また正直言えば現代にそのように振舞える人は極少数に思えてならない。これからの音楽のあり方は、ただ音楽の枠だけの話にとどまらない。図らずも後の結果が、私たちの軽薄さを証明することにならないことを願ってやまない。


脚注
*1 MP3
 MPEG Audio Layer-3の略。人間の聞き取りにくい音声などを間引くことなどによって、音のデータを圧縮する技術の一つ。

*2 AAC
 音声圧縮方式の一種。Apple社が標準採用している。

*3 ビットレート
 データの速度を示すもので単位はbps(Bit per Second)。例えば160kbpsなら1秒間に16万個のデータを送っている。なおCDのビットレートは約1400kbpsである。

*4 iRiverやCreative
 iPodのライバル商品を販売している会社。それぞれ韓国、シンガポールとアジアの会社であることは興味深い。

*5 ダイナミックレンジ
 信号の再現能力を表わす数値。信号の最小値と最大値の比率をdB単位で表したもの。高いほど細かい音まで信号まで再現していると言える。ただレコードについては最大値が小さいので相対的に小さい値が出る。

*6 アナログ
 アナログは録音媒体としてのアナログ(レコード)だけでなく、装置としてのアナログ(真空管アンプなど)も入る。

*7 フルトヴェングラー
 ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954) ヨーロッパの伝統あるオーケストラの常任指揮者を歴任した大指揮者。

*8 カラヤン
 ヘルベルト・フォン・カラヤン(1908-1989) フルトヴェングラー亡き後、長年に渡ってベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を務めた。20世紀後半で最も知名度があった指揮者といっていい。

*9 チェリビダッケ
 セルジュ・チェリビダッケ(1912-1996) ルーマニア生まれでドイツで主に活躍した指揮者。順当ならフルトヴェングラー亡き後のベルリン・フィル主席になるべき人であった。その思想は哲学家といってもいいだろう。録音音源を非常に嫌っていたことでも有名。

*10 FMトランスミッター
 音声データをFM電波に変換し、飛ばす装置。FMラジオで受信することができる。大抵は車で使用されることが多い。

*11 ソーシャル・ネットワーキング・サービス
 通称は頭文字をとりSNS。参加者が互いの友人を紹介しあって、友人関係を広げていくコミュニティ型のウェブサイト。既存の参加者からの紹介がなければ参加できないことがシステムを採用しているサイトが多い。なおソーシャル・ネットワーキング・サイトという呼び名もあり、同義である。

*12 イーライセンスンの三野さん
 三野氏は株式会社イーライセンスの代表取締役。イーライセンス社は音楽の著作権管理サービスをしている。日本音楽著作権協会(JASRAC)の一法人独占を打ち破った企業である。またその独占を打ち破る上で、三野氏は関係機関への働きかけなどを行い独占打破のキーマンである。なお株式会社レコミュニのオフィスはイーライセンスのオフィス内にある。

*13 カネボウと資生堂のCM合戦
 両社のCMに使われた曲を集めたCD「ルージュ 〜コスメティック・CMソング・コレクション〜」まで発売されている。二枚組アルバムであるが、一枚目はまさにタイアップ合戦の始まった頃の曲がつまっている。このCM合戦の黎明期は、石油ショックが落ち着きバブルの階段上る日本の時代であることが興味深い。

*14 DRM
 Digital Rights Managementの略。日本名はデジタル著作権管理。配布・交換が容易なデジタルデータの著作権を保護するための技術。日本ではレーベルからの要求が非常に厳しく、DRMを強くかけてあるものでなければなかなか許可されない。携帯電話への音楽配信だけは元気なのは、DRMが完全にかかっているからだ。


取材協力者(五十音順 敬称略)
石井 健之(and up)
福岡 智彦(レコミュニ)
若林 鋼二(エイフル)

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2005年 2月 06日

とりあえず無題

投稿者 by tak@taknews.net at 11:13 / カテゴリ: 08長い文章 / 2 コメント / 0 トラックバック

 ほんとはもっともっと先に某所に載せなきゃあかんかったのですが、いい加減に変えたら、自分の心から離れて前に進むことも後ろに戻ることもできなくなった(汗 とりあえず見た目とかも考えるためにここにアップ。
 もちろんこれもクリエイティブコモンズライセンス適用で。ただ誤字脱字以外のところも手を加える可能性大です。


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●1st Chapter イントロダクション〜Loop〜
 今日も変わらない一日だった。毎日そのように感じている人は結構いるのではないだろうか。そういう私も、毎日のようにそう感じている。しかしこれから紹介するA君の生活は、本当に変化を感じない。実際にA君に生活をな

 「そうですねー最近はかなりましになってきましたが、昔は本当に寝るのみでした。動く元気もなくて。薬が効いているおかげもありますね。それでもそれでも基本的には家の中での生活ばっかしですね。こんな生活になってから1年半くらいたちました。」

 そんなA君にさらに詳しく、一日の過ごし方を聞いてみた。

 「え〜っと、朝起きたときから話しますと、起きるのはだいたい昼前ですね。起きたら『笑っていいとも』放送しているくらいですかね。それから下に降りてご飯食べる。そしてまた自分お部屋に戻って寝っこるがるかパソコン。日も暮れて夕ご飯。それからお風呂入れば9時を回ってることが多いかな。
 それからはネットばかりですね。チャットとか2chとか。意味もなくネットサーフィンとか。そのうちに2時とか3時になって寝る。そんな毎日がずっと続いていくだけですね。そして何か・・・焦燥感だけが募っていくんですよ。こんな生活でいいのか、って。そして世間の目もやっぱり怖い。『あそこの子は外に出ない』とかって噂されてないかなぁ、ってしょっちゅう思っていくうちに一日一日が過ぎていきますね。」

 
 A君はこのように毎日同じような生活をしている。単調で抑揚のない毎日を、いつまでもいつまでも過ごしていくように思えてならないでいる。それがまた彼を苦しめ、余計に外にでられないようにしていく。A君は永遠に続くループをいつも感じているのだ。「外の世界」とのぎりぎりの接点はインターネットと通院だけの生活を続けながら。

 しかしA君は「精神疾患」を煩っている人の ほんの一例に過ぎない。中には長い間ベッドから起き上がれないでいる人もいる。自分の部屋から一歩も出られない人もいる。症状は人それぞれだ。しかし確実な事実として、多くの若者が気分が上向かずに長期間ほとんど自宅のみで過ごしているということが言える。そんな彼らをインターネットのウェブサイトやBBS、さらには実際に会ってみることを通して「精神疾患」を患っているとされた彼ら・彼女らの内情を少しでも垣間みていくことにする。

 なお対象となる方々は若年層の「精神疾患」だと診断された人たちであるが、その病状は様々である。しかし実際に直接顔を合わせた人たちは外に出る元気を持っている。つまり小康状態を保っている方々だ。
 また「精神疾患」という重いイメージの付きまとう用語は必ずしも適切ではないと考えている。そこで、より軽いイメージを醸しだしつつ「精神疾患」の人たちも使っている「メンヘル系」(メンタルヘルス系の略)「メンヘラー」(造語 精神疾患者の意)という言葉を以降使うことにする。


●2nd Chapter インターネット〜Another World〜
 まずはネット上でのメンヘラーたちの実情から見ていくことにしよう。始めに断っておくと本来なら具体的にURLを載せて実際のウェブサイトを見て頂けるようにするべきであろう。しかし多くのウェブサイトがリンクフリーを銘打っていないことと、メンヘラーである管理人への配慮も考え、ここでURLは載せないことにする。興味がある方はサーチエンジン等を通して探して欲しい。。

 ネットでは大きく分けてウェブサイトとBBSでのコミュニケーションが成り立っている。簡単に両者を説明しよう。ウェブサイトとは管理者がいて、その人が作ったページをまとめたものである。日本では「ホームページ」とよく言われているものだ。BBSはネット上の掲示板である。少年事件が起こればほぼ毎回メディアに取り上げられる2ちゃんねるがその代表格であるが、それ以外にも無数のBBSが存在する。以上のように二つに分けて考えよう。
 まずウェブサイトからみていこう。100個以上のウェブサイトを閲覧してきて気づいたことがいくつかある。第一に、そのつくりが非常に凝っていることだ。音楽が自動的に鳴り出したり、自作の詩を披露したりなどかなり手がこんでいる。詩のような創作活動は時間がかかる作業だ。音楽を流す仕組みもウェブサイト作成支援ソフトが発達したとはいえ、少々知識がいる
 
 ここで、なぜそこまで労力をかけてウェブサイト作成に力を注ぐのであろうか、という疑問が沸いてくる。裏を返せば相当の労力と時間をウェブサイトに注ぎ込んでいる理由があるように感じられる。それを考える上で外せない着眼点はウェブサイトの性質だ。ウェブサイトは不特定多数に広く開かれている。つまり誰でも自分のサイトにアクセスしてきてくれる可能性がある。そのような前提がわかった上でウェブサイト作成に相当量の力を注ぎ込むことは、意図的に自分の作成しているものを広く共有したいという欲求からくるものであろう。
 もう一つ気づいた点としてはリストカットなどの自傷を取り扱うものの割合が非常に高いことだ。メンヘル系サイトは大きく分けて「今は思い悩んでいるけどこれからいかに楽に生きていこうか」という生きる道を模索していく内容と「もうこの世なんていや。早く楽に死にたい」という死ぬ道を探索する二つに分けることができる。これらのサイト数の割合は圧倒的に死を志向するものが多かった。
 ここで実際にメンへらーは「死を志向する」人が多いのかデータを見て検討しよう。一般的にリストカットなどの自傷癖がある人は、人格障害と診断を受けている場合が多い。確かに厚生労働省の発表している精神病院の推計患者数(http://wwwdbtk.mhlw.go.jp/toukei/data/150/2002/toukeihyou/0004439/t0091894/j58_001.html)をみれば人格障害が含まれる「精神分裂病,分裂病型障害及び妄想性障害」の患者数、同じく鬱病が含まれる「気分[感情]障害(躁うつ病を含む)」のそれと比べてみると入院患者数で約10倍、外来患者で約2.5倍多い結果となっている。よって人格障害の一種をわずらっていると考えられる自傷癖のある人のウェブサイトが多いのは頷けるように思える。しかし実際に自傷癖のある人は<精神分裂病,分裂病型障害及び妄想性障害の中でも境界性人格障害などの感情の混乱が激しいタイプの症状を持つ一部の若い未婚の女性がほとんどである>というところまで絞られるのだ。その事実に鑑みると、正確な比はわからないにしても「生」を志向するウェブサイトと「死」を志向するウェブサイトの数は拮抗してもいいように思われる。だが私が調査した限りは、メンヘラーが管理人となり運営されているサイトは死を志向しているものが多かった。
 いや、そんな簡単な「生―死二分法」的な分類で大丈夫だろうか。今一度冷静に考えてみよう。死を志向するウェブサイトの自傷系管理人は、果たして本当に「死」を志向しているのだろうか。まず先にも書いたとおり彼女たち(メンヘル系サイト管理人は圧倒的に女性が多い)は注目してもらいたいがためにウェブサイトを作っていると考えられる。本当に死を志向するなら、そもそも相当量の時間と労力をウェブサイト作成に費やす必要はない。「死」に意味を求め「現世」で必死になっているという矛盾した志向だ。厳しい言い方をすれば、本当に死にたければ別に何もせず死ねばいい、という意見もあろう。(後述するが)突発的な感情のはけ口とするなら、その機能を十分保持しているBBSの数は十分に出揃っている。。
 しかし彼女たちはウェブサイト作成を選んだ。これが意味することは彼女たちは「生」の手段として、ウェブサイト作成に力を入れているのではなかろうか。自己存在の確認の一時的な手段として行うリストカットと代替としてウェブサイトが使われているのではないだろうか。開かれたネットの世界に対して自分を表現していくことによって、一般社会ではなしえなかった自己をネットの世界の中で明確化していく行為なのであろう。また悩みは何かに集中すれば一時的な忘却することができる。部屋の中で一人で集中して出きる素材としてのウェブサイト製作の意味もあろう。
 なおこれらの自傷系ウェブサイトはリストカットをした部位の生々しい写真が載せてあることがよくある。興味を持ちそのようなウェブサイトを閲覧するときは(特に血が苦手な方は)十分注意していただきたい。

 BBSに話を移そう。メンヘル系BBSは大きく分けて巨大掲示板2ちゃんねるのメンタルヘルス板(http://life6.2ch.net/utu/)を代表とする管理人がいない形のものと、管理人のいるBBS(基本的にウェブサイトに隣接して設置)に分かれる。まずは管理人のいるBBSから考察する。管理人のいるBBSの内容は一言で言い表すなら「書きなぐり」型だ。ほとんどすべてのBBSで投稿の流れというものがない。明らかに思いつきやそのときに考えていた他愛のないことを書いたり、自殺衝動や腹立たしいことなどの衝動的感情を書きなぐったものであった。よく見る書き込みは「死にたい」「もう嫌だ」「生きていくのが嫌になりました」などの短文書きなぐりのものだ。中には管理人が励ましを書いているBBSも存在するが、多くはほとんど放置されて書きなぐる場となっていた。このように流れがないBBSであるためか、アクセス数の延びの割りには書き込みが少ないウェブサイトが多い。例えばアクセスカウンターが3万件を超えているにも関わらず、BBSの書き込みは10件しかないウェブサイトもあった。。しかも、書き込み内訳は1件が管理人自身の挨拶、2件が事務連絡、そして残りはレスのつかない書きなぐり型の衝動を吐き出したものであった。
 管理人がいないBBSに話題を移そう。これを語る上で絶対にはずせないのが2ちゃんねるであろう。しかしあまりに内容が多岐に渡り、性質上メンヘラー以外も多数存在し、メンヘル板特有の現象は見受けられなかった。2ちゃんねるのメンヘル板について語ることは2ちゃんねるについて語ることとほぼ同義となり、今回の趣旨からは外れるので割愛する。たった一つの例外としてコテハン(固定ハンドルネーム)使用率、さらにはトリップ(*1)使用率が他の板に比べて高めなことが挙げられた。これは先述のウェブサイトに見られた自己を一般社会の変わりにネットの世界で明確化していく行為と同様なものだと考えられる。
 
 他には自殺志願系BBSもある。最近、ネット心中をした仲間同士に自殺幇助罪摘要やプロバイダ規正法制定があってか、自殺志願BBSは昔に比べ大幅に減少しているように思われる。またBBSの実際の書き込み数がほとんどないものも多く、定期的に見ていたBBSで活発な書き込みがあったところは2つだけだった。そのうちの1つは毎日少なくとも2件は自殺してくれる「仲間」を募集する書き込みがあった。その多くの人がメールアドレスを載せて「仲間」の連絡を待っていた。よくある書き込みパターンは以下のようなものだ。
 誰か一緒に逝きませんか。
 本気です。
 練炭用意しますので車用意できる方。
 xxx@xxx.xxxx

 多くはフリーメールないし携帯電話のメールアドレスを連絡手段としていたが、携帯電話の番号をそのまま載せる人も一週間に一人くらいはいた。ちなみに、その中の何人かと連絡を取ろうとメールを送ることも試みた。大体1通目の返信が来る確率は5割くらいだった。その内容もかなり簡潔で「本気ですか?」やそれに類する言葉のみであることが多かった。次にこちらから返信をしたあとの2通目の返信をもらえる確率は ほぼ皆無であった。始めか自分が男であることを標榜したせいもあってか、反応は拍子抜けするものであった。
 またBBSをその後もチェックしていても、その自殺志願者がまた書き込むことはめったになかった。そのことから考えて、基本的に自殺志願をBBSに書く人は突発的な自殺衝動に苛まれて殴り書きのように書き込んだが、その書き込みへの返事が来る頃には冷めてしまっていることが多いのではないかと推察できる。その書き込みが一瞬の自殺衝動を外へ昇華させるすべてなっているのであれば例え「裏切られた」書き込みばかりであってもこのようなBBS存在意義は非常に高いといえよう。また年間自殺者数が三万人を超える日本で、ネット心中はまだまだごく少数であることを忘れてはならない。マスメディアを賑わす練炭自殺も全自殺の0.1%ほどに過ぎないのである。

●3rd Chapter 精神医療の問題〜Lack〜
 ここからは実際に十人を超えるメンヘラーに会い、共に過ごしたり話をしてきた中で得た経験をバックグランドとして、精神医療のあり方やメンヘラーの今後を考察していくこととする。なお今回会ったメンヘラーは全員が初対面であり、私自身も一人のメンヘラーとなりすますことによって、彼らの中に加わっていくことを基本スタンスとした。
 
 まずは精神科医による病名判断から考えていくことにする。20代後半の男性・Bさんは初診時に10分ほど医師と会話をしたら、アスぺルガー症候群だといわれたそうだ。彼が言うには「別に普通に会話をできていたつもり」とのこと。なおアスペルガー症候群とは一般的には知的障害がない自閉症、と言われている。最近では自閉症が差別用語だという指摘もあり、広汎性発達障害とも呼ばれている。今回のアスペルガー症候群と診断した医師は、知能レベルでは全く問題が見られない一人の男性は自閉していると10分で決められたことになる。私はアスペルガーと診断された彼と「10分以上」話をしたが素人感ながら全く自閉しているとは思えなかった。むしろ他のメンヘラーより気さくなぐらいにさえ思えた。
 10分診断の話に戻そう。10分という非常に限られた時間の間では医師と患者の間に信頼関係が生まれているかどうかも疑わしい。このような極めて短い時間で病名まで「確定」できるということは、単純に話を聞きながらDSM-IV(*2)やICD10(*3)を元にフローチャートに近い形で病名を「決定」したと考えられる。それは本来、その病の原因となっていると考えられる内面の問題を一切無視して病を決めてしまうという本末転倒の所業だ、という意見もありえよう。少なくとも私には、このような診断方法でいいのだろうか、これで真の根本的な治療は行われるのだろうか、という強い疑念が生じてならない。またもう一つ大きな問題として、アスペルガー症候群は先天性の脳障害であるという説に付随するものがある。確定的に解明されているわけではないのだが、最近有力視されているこの説を10分診療の医師が正しいと信じていたならば、医師は患者をたった10分の問診で先天的に障害が、もっと強く言うなら遺伝子レベルで「問題」がある人間だと判断したことになる。究極の個人情報ともいわれる遺伝子レベルにまで初診10分の問診のみで言及することはかなり危険なことではないだろうか。Bさんはどこかで知っていたのだろう。Bさんの「10分で生まれつきだめなやつって言われてみたいもんかな」という言葉が痛々しい。
 なお末尾の脚注(*4)においてDSM-IVやICD10のアスペルガー症候群に対する記述を全文掲載してある。少々長いのだが精神科医がどのようなフローチャートを事前に用意して、患者のどのような点を診断して病名を判断しているのかを知ってもらうためにも全文掲載した。内面に立ち入らず機械的に診断可能でありうる点を理解していただきたい。

 しかしこのような診断がなされている理由は医師にのみに問うことはできない。精神科・心療内科は扱う病の特性上、一人の患者に費やす時間は他の科に比べて非常に長くかかる。しかし医者側にしてみれば、時間がかかればかかるほど損をする。なぜなら医師は基本的に医療保険にのっとった治療をしている、つまりは患者側に請求できる金額は医療保険により前もって定められているのだ。もちろん医療機関が後に医療保険として充填される患者自己負担分以外の金額も定まっている。ということは極論すれば診察時間が長くなれば長くなるほど損なのだ。親身になって投薬治療ではなく心の病の原因を真に追究し信頼関係を強固にして患者の内面を探ろうとしようが、マニュアルどおりに病名を「確定」させようが医師が手にするお金は同額なのだ。そうなれば経済的な観点からも医師が、一人の患者にかける時間は短くせざる終えない。当然 医師という職業は打算的な考えで動く人は適任ではない、という批判もあろう。しかし現実問題として「専門間差別」とも言うべき現状を是正することが10分診療問題の解決法の一つであることは疑いようがない。
医師・患者双方がWin-Winとなるのは難しくとも、何かしらの利得を医師にも与えるべきであろう。
 また実際に知人の若い精神科医に聞いてみたところ精神科医が医師の中で一番収入が低く大学で専攻を決めるときも人気は非常に低かったそうだ。「外科は外道」という言葉があるが今なら精神科医は論外という扱いがあるのかもしれない。また彼が言うには精神科医は医師の中では儲けが少ないが患者が自殺しない限りは他の医師より暇で休みも取れる、という理由で精神科医になる人もいるそうだ。これらのバックグランドを考えればやはり一概に医師を攻めることは難しい。
 反対に患者の側からみても経済的な問題がある。投薬治療ではなく病の原因から摘み取っていこうという精神(心理)療法は、医療保険が使えないことがままある。通院先の病院に臨床心理士がいなく、保険診療でカウンセリングができない場合はカウンセリングセンターなどで医療保険のきかないカウンセリングをすることになる。実際に複数のメンヘラーに聞いたところ値段はばらつきがあったが、大筋で一回(一時間前後)あたり五千円から一万円であった。大学のカウンセリングセンターを無料で使っている学生などを除く多くのメンヘラーはカウンセリングに非常に高額な金銭を必要としている。また実際に会ったメンヘラーは皆、定職を持っていなかった。そのような現状でカウンセリングを受けたいときに気軽に受けられるだけの財を蓄えている人はそうそういないであろう。心のよりどころとなったり、時には「駆け込み寺」にもなりうるかかりつけのカウンセラーが経済的理由により、もてないでいる現状は治療を進める上で非常に大きなマイナス要因である。

●4th Chaptr 犯罪者の精神鑑定〜Programed〜
 ここで少し視点を変えてみよう。メンヘラーはメンヘラーでも重大な犯罪に犯した(と考えられる)「メンヘラー」について考えてみよう。最近はマスコミが騒ぎ立てるセンセーショナルな単独犯による犯罪があった場合、大概精神鑑定が行わる。その後にメディアを席捲する病名はアスペルガー症候群か人格障害のどちらかだ。記憶を惹起する意味もかねて実際に鑑定された犯罪(被疑)者を挙げてみよう。アスペルガー症候群と診断されたのは豊川主婦殺害事件の当時17歳の少年・長崎市の男児誘拐殺人事件の当時12歳の少年が、、人格障害は幼女連続誘拐殺人事件の宮崎勤被告・大阪池田小児童殺傷事件の宅間守氏が代表例として挙げられる。どの事件も非常に日本社会への影響が大きかったため「アスペルガー」と「人格障害」の言葉がマスメディアを通して広く知られることとなった。そしてその二つの精神疾患は今まで「分裂病」と「鬱病」くらいしか知らなかった国民には新しい、何か危険で狂気に満ちた疾患にさえ思われた。
 しかしこの二つの精神疾患は決して新しい概念ではない。アスペルガー症候群は1944年にオーストリアでアスペルガー医師が報告するまで、人格障害にいたっては1835年にプリチャードが「道徳的狂気」の概念を持ち出すまでさかのぼる。もちろんその後、時代の変遷のなかでそれらの概念は刻一刻と変化してきているのは間違いはないのだが、少なくとも人類がこれらの症例が実際に見地できたのは決して新しくはない。これだけ前から症例があるのであればいまになって急に取り上げられること自体が不信感を抱きかねない。少なくともわざわざ犯罪の加害者に病名という「レッテル」を金太郎飴のように毎回似た内容を「貼って」いく作業には強い不信感が生じるのを禁じえない。

●5th Chapter 「レッテル」としての病名〜Deportation〜
 このようにメンヘラーや犯罪者は必要以上に精神疾患の病名を告げられている。ではなぜ彼らに病名という「レッテル」を貼る必要があるのだろうか。確かに病気であるならば適切な治療をするためにも病名という具体的な表現があれば、確実に治癒に向けての道を構想しやすい。しかしその一方、投薬治療は基本的には脳内の物質を増加させることにより神経を「操作」し症状を緩和するものであり、あくまでも対症療法に過ぎない。薬局で売られている風邪薬が風邪のウイルスを直接攻撃するわけではなく、諸症状を緩和させているだけなのと同じだ。つまり投薬のみでは根本的な治療になりえないのだ。風邪のようにに二、三日ばかり安静にしていれば自己治癒力で治る病気ではないメンヘル系の病に、わざわざ細かい病名をつける必要はあるのだろうか。
 さらに付け加えると病名をつける効果に治療法の確立を挙げたが、それもできているとは到底思えない。なぜなら実際に会ったすべてのメンヘラーの方々は投薬治療がすべて試行錯誤によって薬を決められていた。始め出されて薬が効けばそのまま使用したり量を増やす。薬の効能が低ければより強い薬を出してみる。副作用がひどければ違う傾向の薬に変える。ある程度投薬が進んだら薬を抜いていってみる。Cさんの例を出してみよう。
 
 「始めはトレドミンから飲み始めて、あんまり効かなかったかな。徐々に楽な気持ちにはなるけどそれ以上でもそれ以下でもなかったですね。副作用はちょっとのどが渇いたくらいで大してことなかった。次に飲んだのはパキシル。これはとことん眠くなったね。ただでさえ起き上がりたくないのに、もう本当に起き上がれなかった。それからはちょっと間は忘れちゃったけど基本的には喉の渇きと眠気は随時、って感じ。まあ薬が大丈夫そうだったら量を増やす。副作用が強かったら量を変える。最近でひどかったのはアナフラニール。もう食欲はなくなる、喉がとてつもなく渇く、手が勝手に小刻みに震えるとか。もうこれで死ぬかと思った。あとはいわゆる排尿困難もあたね。けどまたそれを飲まないでいると一気にダウンしちゃってまた逆戻りみたいな。そういうやり方の繰り返し。」
 
 これはCさんの例だが、同様の繰り返しをしていない人は一人も会うことはなかった。そして多かれ少なかれほとんど全員が副作用を感じたことがあった。眠気、便秘、むかつきなどがよくあるそうだ。確かに現状での投薬治療は試行錯誤で行うしか方法がないのであろうが、それでも患者側からすれば納得できないだろう。このような「手当たり次第」の投薬治療がメインである状況下で病名を決定するメリットは分類する上での便宜的な価値以外はなかなかみえてこない。
 他に考えられる原因は医療保険だ。普段の生活であまり意識することはないが、医療保険が適用されるのは病人に対してのみだ。当然といえば当然ではあるが、病気でない人が病院で診療しても保険はきかない。病気であるからこそ「医療」保険が適用されるのである。そうなると例えちょっとした精神的な不調であっても医師としては「病名」をつけて保険診療にするしか手はない。受診者側もいざ料金を払うときに十割負担を強いられたらたまったものではない。このように保険を適用するための「病名」が乱発されている事実も見受けられる。
 
 しかし問題はそれだけではない。もっと根深い問題として「切り離す」装置としての病名がある。メンヘラーたちを「一般人」たちが「一般社会」から切り離したのだ。その背景には「デオドラント」志向の「悪臭」がしてならない。自分たちの中には「変人」「悪人」は存在せず、すべて澄み切って、間違いも全くないという「安心」感を得る。その一つの方法として病名レッテルを多用し、レッテルを貼られた人たちを「一般社会」から追い出しているのではなかろうか。
 私が会ったメンヘラーたちも多かれ少なかれそのような世間の風当たりを感じているようだ。具体的には、あるメンヘラーは精神的な不調を感じて「これはひどくなる前に精神科に行った方がいい」と思ったそうだが、家族から「精神科なんかに行くならうちにいるな」と言われたそうだ。この発言が日本人の平均的な意見とは言わないが、少なからず日本社会では精神疾患に対する「精神病=狂人=一般的な人間ではない」という偏見があることは疑いようがない。また彼が精神科に行こうが行かまいが彼の本質は変わることはなく、家族共同体への影響はほぼないと考えられるのだが、何故か「精神科に行った」彼は家族と共に暮らすことがいけないこととなり、「精神科に通わない」彼は家族と共に暮らしてよいことになる。それが意味することは、家族という共同体の中に「変人」が一人いることにより「世間」という共同体から排除されてしまうかもしれないという恐れが感じられる。やはりここでも「デオドラント」で「安全」な共同体の幻想が見え隠れする。
 犯罪被疑者たちについても同様に「普通の人」ではないというレッテルを貼ることによって「一般的な人間」は凶悪犯罪を犯すような特質を持っていない、という市民の感情浄化=安心感としての役割を負っている。また犯罪被疑者に関しては精神疾患の中でも知能面では問題がないが、コミュニケーションが苦手なアスペルガー症候群とあくまで人間として「人格が悪い」だけの人格障害をどちらかを適用することによって、犯行時は完全責任能力を有していたと判断し、刑は「一般人」と同様に与えることにより国民の感情を抑えている。つまり「アスペルガー症候群」と「人格障害」はデオドラントな安心感と処罰により噴き上がりの沈静化を同時に成し遂げられる「絶妙な」レッテルなのだ。

●6th Chapter 「病名」というコミュニケーションツール〜Deconstraction〜
 しかし単純に一般社会から「切り離す」装置としてのレッテルは少しずつ変容している。それは世間や医師がレッテルを貼ることを止め始めているわけではない。むしろ彼らは積極的になんとか病名をひねくりだそうとしている。そのような現状が続くのでは、貼られた方もだまってはいない。そう、変わった方は貼られた側だったのだ。それは今までよくありがちであった真っ向から批判することではない。今まで貼られる一方だった患者側がそのレッテルを貼られたもの同士で同じ仲間として集まり始めるという方法を取ったのだ。具体例を挙げると初めから「私は鬱病で薬を飲んでいる」などとカミングアウトすることによって「あ、私もそうだ」という相手の反応を引き出し、そこでコミュニケーションが発生している。その証左に私が会ったメンヘラーたちはまさにそのコミュニケーションによって実際に集まる機会を得たのだ。
 ではなぜそのような新たなコミュニケーションツールとして「病名」が使用されるようになって来たのであろうか。最も大きな要因はパソコンとインターネットの普及だろう。パソコンが一家に一台から一人一台の時代に移りつつある中で、昨今のブロードバンド網整備に伴い定額サービスでネット接続が多くの家庭でできるようになった。そのおかげでメンヘラーの部屋にもプライベートに使用できるネット接続可能なパソコンが置かれるようになった。家の中の自分部屋の一番隅っこという最も「内」に存在していたパソコンがインターネットにより広大な「外」へと変容してしまった。
 中にはインターネットが理由でメンヘラーになってしまった、というインターネット危険説を唱える人もいるだろうが今回会ったメンヘラーの中ではその可能性がある人はいなかった。実際には多くのメンヘラーたちはインターネット後発組であった。つまりメンヘルに症状が出てきたあとに、インターネットを本格的にやり始めたというわけだ。そのような事実に鑑みればインターネットによるコミュニケーションが精神的な失調を引き出したということは、私が見てきた現状では認められない。
 このように病名をさらしてしまうというある種の開き直り的な方法により、外との交信手段を得ることができたという事実は患者側にとっては一つの光明だ。今まで部屋に閉じこもりきっていただけだったのが、インターネットの爆発的普及や(逆説的にありがたいことに)精神科医の病名乱発の「おかげ」で一つのコミュニティーを形成する糧にありつくことができた。

●Fianl Chapter これからの「可能性」〜Renegades〜
 だがメンヘラーたちの病名をコミュニケーションツールと使用することで問題は解決するのだろうか。彼らはコミュニケーションのツールとして自らの病名を使用することができたが、現状ではそのツールが有効に使用できうる環境は同じくメンヘラー に対してだけである。それでは延々とその小さな集団の中で生き続けるしかなくなってしまう。いくら開かれても その一寸先は閉ざされ続けてしまう。それが意味することは永遠に現状は変わりえないという事実だ。果たしてそれでいいのだろうか。彼らには一つの「居場所」はできたまではいいのだがそこに安住するという選択肢以外なくなってしまうのではないだろうか。
 また逆にその小さな「病名共同体」を打破する必要がなくなってしまうという可能性もある。まず経済的な面を考察しよう。メンヘラーの多くは一般的な社会から離れた人が多いが、両親と暮らしている人が多い。そのため経済的にはさほど困らない。例え両親が退職していたとしても老後の生活の蓄えで一人分くらいの食料費を出すことは、多くの家庭で容易ではないにしても、決して家計が「火の車」になるようなことではない。もっと先まで考えて両親の死後でも残りの人生に必要な生活費くらいは遺産としてありそうな気がする。ここまでメンヘラーたちが腹黒く考えているかはわからないが、少なくとも近い将来に路頭を彷徨うことになる心配を持っている人は実際にあったメンヘラーの中にはいなかった。一人を除けパトロンとなりうる同居人(ほとんどが親)と同居していた。そうなるとわざわざ無理して「社会」に戻らなくても、質素ではあるが今の生活をずっと続けていくという選択肢も十分にありえる。

 もう一つ考えられる理由は社会そのものが戻るに値しないという価値判断の上で、社会から切り離されたままを望むメンヘラーも出てきうる。今まで社会に戻ろうとばかり思いつつも家に過ごす日々が自分の年齢を上積みさせ、より社会復帰が難しくなり余計に不安が増大する。このような悪循環が少なからずあったと考えられ、事実会ったメンヘラーの半数以上がその悩みを持っていた。しかし「幸薄き」一般社会に戻らなくとも現状のコミュニティーの方が実りがある生活ができる。金銭的には確かに贅沢は無理だが、そもそも贅沢したいとも思わない。贅沢自体が一般社会の勝手なものさしだ。という具合に未だに多くの人たちに「自明」となっている一般社会は、戻るに値するという考え方が「戻るべき」とされる人たちに共有されなくなったらどうなるのだろうか。
 私が会ったメンヘラーたちの中にはここまで考えている人はいなかったが、今後出てこないとは言い切れない。仮にそうなった場合には「戻ってくる」気配もなく、一般社会から脱却し税金もろくに納めていないのに、社会福祉制度はちゃっかり利用する大勢のフリーライダーに対する批判が増大することも考えられる。また その批判も必ずしも的外れとはいえない。しかし、その「フリーライダー」自体がかなり大きな「共同体」を形成しだせばメンヘラー共同体が一般社会から脱却した「外道」で「仮」の共同体であったところから一般社会で形成されていると思われている「共同体」と肩を並べる存在となり、一般社会のルールの意味が壊れてしまう可能性すらある。もしそのようなことが起こった場合、我々はそのような共同体の乱立をあるがまま受け入れることは可能であろうか。また逆に問うならそのような共同体の出現を「許す」ことは果たして正しい選択なのだろうか。公共性という概念で解決を計ることも考えられうるが、その「公共性」という概念すらも通用しない強くなった「共同体群」が出来上がっている可能性もある。そのときは(現在でいうところの)社会に生きる意味がないのだ、と判断する人が大量にいることを意味する。

 「一般社会」という共同体以外で生きる道は多くの人に新たな可能性を見い出した。しかしそれが意味するところは現世の実りのなさの裏返しなのだ。メンヘラー問題は、決してメンヘラーだけの問題ではない。メンヘラー予備軍だけの問題でもない。私たちの日々の生活の基盤にある価値観をも揺るがしかねないことなのだ。フリーライダー問題や労働世代の非活用などの今現在、メデイアなどで言われている問題だけではないのだ。社会の基盤を大きく揺るがす可能性があるのだ。現存する社会の価値観をすべて揺るがしかねない問題する抱えているといって良いだろう。その「揺れ」の善悪は簡単に決着できる問題ではない。正直言えば私もどちらが良いのかと問われたら答えに窮する。しかし近い将来、日本が下準備のないまま、この問題にまで突っ込んでいくように思えてならない。


●脚注
*1 トリップ
 匿名手段の中で固定ハンドルよりも強固に一人の特定の人間をアイデンティファイするための一つの方法。2ちゃんねるなどで使用可能。http://info.2ch.net/guide/faq.html#C7参照

*2 DSM-IV
 日本語訳は『精神障害の診断と統計の手引き』。アメリカ合衆国の精神医学会が定めた精神の失調を診断する際の指針を示すもの。これを使用することにより客観的に病名を診断することができるとされている。日本国内では精神医学の領域で診断基準と広く用いられている。末尾のIVは第四版を表す。

*3 ICD10
 日本語訳で『疾病及び関連保健問題の国際統計分類』。WHO(世界保健機構)が死因や疾病の国際的な統計基準として発表しているもの。DSM-IVと並び精神医学の領域で診断基準として用いられている。末尾の10は第十版を表す。

*4 アスペルガー症候群

 DSM-IVの記述は以下の通り(『DSM-IV-TR―精神疾患の分類と診断の手引』医学書院より引用)

A.以下のうち少なくとも2つにより示される対人的相互作用の質的な障害:

(1)目と目で見つめ合う、顔の表情、体の姿勢、身振りなど、対人的相互反応を調整する多彩な非言語性行動の使用の著明な障害。
(2)発達の水準に相応した仲間関係をつくることの失敗。
(3)楽しみ、興味、成し遂げたものを他人と共有すること(例えば、他の人達に興味あるものを見せる、持って来る、指さす)を自発的に求めることの欠如。
(4)対人的または情緒的相互性の欠如。

B.行動、興味および活動の、限定され反復的で常同的な様式で以下の少なくとも1つによって明らかになる:

(1)その強度または対象において異常なほど、常同的で限された型の1つまたはそれ以上の興味だけに熱中すること。
(2)特定の、機能的でない習慣や儀式にかたくなにこだわるのが明らかである。
(3)常同的で反復的な衒奇的運動(例えば、手や指をぱたぱたさせたりねじ曲げる、または複雑な全身の動き)。
(4)物体の一部に持続的に熱中する。

C.その障害は社会的、職業的、または他の重要な領域における機能の臨床的に著しい障害を引き起こしている。

D.臨床的に著しい言語の遅れがない(例えば、2歳までに単語を用い、3歳までに意志伝達的な句を用いる)。

E.認知の発達、年齢に相応した自己管理能力、(対人関係以外の)適応行動、および小児期における環境への好奇心などについて臨床的に明らかな遅れがない。

F.他の特定の広汎性発達障害または精神分裂病の基準を満たさない。


 ICD10の記述は以下の通り(『ICD-10精神および行動の障害―臨床記述と診断ガイドライン』医学書院より引用)

 疫病分類学上の妥当性がまだ不明な障害であり、関心と活動の範囲が限定的で常同的反復的であるとともに、自閉症と同様のタイプの相互的な社会的関係の質的障害によって特徴づけられる。この障害は言語あるいは認知的発達において遅延や遅滞がみられないという点で自閉症とは異なる。
多くのものは全体的知能は正常であるが、著しく不器用であることがふつうである;この病態は男児に多く出現する(約8:1の割合で男児に多い)。
少なくとも一部の症例は自閉症の軽症例である可能性が高いと考えられるが、すべてがそうであるかは不明である。青年期から成人期へと異常が持続する傾向が強く、それは環境から大きくは影響されない個人的な特性を示しているように思われる。
精神病エピソードが成人期早期に時に出現することがある。


【診断ガイドライン】

診断は、言語あるいは認知的発達において臨床的に明らかな全般的な遅延がみられないことと、自閉症の場合と同様に相互的な社会関係の質的障害と、行動、関心、活動の限局的で反復的常同的なパターンとの組み合わせに基づいて行われる。自閉症の場合と類似のコミュニケーションの問題は、あることもないこともあるが、明らかな言語遅滞が存在するときはこの診断は除外される。

A.表出性・受容性言語や認知能力の発達において、臨床的に明らかな全般的遅延はないこと。診断のあたっては、2歳までに単語の使用ができており、また3歳までに意志の伝達のための二語文(フレーズ)を使えていることが必要である。身辺処理や適応行動および周囲に向ける好奇心は、生後3年間は正常な知的発達に見合うレベルでなければならない。しかし、運動面での発達は多少遅延することがあり、運動の不器用さはよくある(ただし、診断に必須ではない)。突出した特殊技能が、しばしば異常な没頭にともなってみられるが、診断に必須ではない。

B.社会的相互関係における質的異常があること(自閉症と同様の診断基準)。

(a) 視線・表情・姿勢・身振りなどを、社会的相互関係を調整するための手段として適切に使用できない。
(b)(機会は豊富にあっても精神年齢に相応した)友人関係を、興味・活動・情緒を相互に分かち合いながら十分に発展させることができない。
(c)社会的・情緒的な相互関係が欠除して、他人の情動に対する反応が障害されたり歪んだりする。または、行動を社会的状況に見合ったものとして調整できない。あるいは社会的、情緒的、意志伝達的な行動の統合が弱い。
(d)喜び、興味、達成感を他人と分かち合おうとすることがない。(つまり、自分が関心をもっている物を、他の人に見せたり、持ってきたり、指し示すことがない)

C.度外れた限定された興味、もしくは、限定的・反復的・常同的な行動・関心・活動性のパターン(自閉症と同様の診断基準。しかし、奇妙な運動、および遊具の一部分や本質的でない要素へのこだわりをともなうことは稀である)。

 次に上げる領域のうち少なくとも1項が存在すること。

(a) 単一あるいは複数の、常同的で限定された興味のパターンにとらわれており、かつその内容や対象が異常であること。または、単一あるいは複数の興味が、その内容や対象は正常であっても、その強さや限定された性質の点で異常であること。
(b)特定の無意味な手順や儀式的行為に対する明らかに強迫的な執着。
(c)手や指を羽ばたかせたり絡ませたり、または身体全体を使って複雑な動作をするなどといった、常同的・反復的な奇異な行動。

(d)遊具の一部や機能とは関わりのない要素(たとえば、それらが出す匂い・感触・雑音・振動)へのこだわり。

D.障害は、広汎性発達障害の他の亜型、単純型分裂病、分裂病型障害、強迫性障害、強迫性人格障害、小児期の反応性・脱抑制性愛着障害などによるものではない。

参考文献
小俣和一郎『近代精神医学の成立』人文書院
斉藤環監修『ひきこもり』日本放送出版協会
高岡健『人格障害論の虚像』雲母書房
ベンジャミン・B・ウォルマン『なぜ「危ない人」が育つのか』主婦の友社
リアン・ホリデー・ウィリー『アスペルガー的人生』東京書籍

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2004年 6月 20日

尾崎豊―その存在と「意味」―(ルポ)

投稿者 by tak@taknews.net at 22:51 / カテゴリ: 08長い文章 / 3 コメント / 1 トラックバック

あるところにルポを提出する機会がありました。
それをここにも発表します。
私はプロの書き手でもなんでもないですがWEB上でさらされる以上同等の責任を持つ必要があります。
その点は理解しております。
かなり長いですので覚悟を・・・

-------------------------------
●尾崎豊―その存在と「意味」―

1st chapter―交錯と追憶―

都心から一時間弱、古くからの住宅街を見下ろす丘に尾崎豊は眠る。1992年4月25日の謎の死(警察の発表は肺水腫による病死)から12年あまり。その年月はこの男を風化させてしまうには十分すぎる時間に思える。時間ばかりではない。社会の変化がその風化をよりいっそう後押ししてきたように思えてならない。しかし、今日もまた彼の墓前から立ち上る線香の煙が丘陵の空気と相まみれる。

 私と彼との「遭遇」は彼の葬儀の翌日であった。当時10歳であった私は、若い女性ファンが泣き崩れ 護国寺近辺に集っている姿にただ驚くばかりであった。その光景は私の脳裏に今でも鮮明に焼きついている。なぜお姉さんたちはあんなに泣きじゃくってるの?一人の歌手が死んだだけでなんで泣いてるの?幸いにそれまで(そして実は今でもだが)近親者の死を体感したことのない私にとって間接的ではあるが初めて死を目の当たりにした瞬間だったのかもしれない。あの時 感じた胸騒ぎを今、自分の中で反芻する。

2nd chapter―記号 抑圧⇔解放 傾倒―

 ある晴れた平日に尾崎の墓に行った。月命日でもなんでもないウィークデイだったが先客がいた。30代中頃とおぼしき、おとなしそうな女性だ。ちょうどリアルタイムで彼に接していた世代であろう。私は彼女に軽く会釈をし墓前に手を合わせたあと話しかけた。
「もう12年ですね」
唐突に聞く。そもそも私の顔を見ればリアルタイムで尾崎を体験しているような年齢ではないことは自明だ。そんな若造が彼の記憶が風化していく12年に感慨をもつわけがない。だからこそ聞いてみた。
「そうですね。」
思ったよりあっさりした返事が返ってきた。別に深く考えなかったのだろう。私は早速お話を伺うことにした。まずは尾崎豊そのものについて話を聞く。やはり彼女はリアルタイムで尾崎豊を体感した世代であった。やはりファーストアルバムの衝撃が強かったのか「OH MY LITTLE GIRL」が最も好きだという。私は「銃声の証明」(5thアルバム収録)を最近よく聞くと言う。これは半分用意された答えであったのだが。
「テロリストの歌ですか。初期の作品とは違いますよね。けど、あの<彼は最後に〜>のところの絶叫っぽいところ、好きですね。」
あきらかに初期の作品に傾倒されていることが伺えた。やはり初期のころからのファンは尾崎が10代の頃の楽曲に強く惹かれるようだ。そこで私は彼女の尾崎との出会いの詳細を聞いた。
「確か私が中学生の頃に彼がデビューしたのですよ。(自分は)さえない中学生だし、誰かのライブとかいったことあるわけじゃないのですが何か(尾崎の登場は)衝撃的したね。高校中退したエピソードとかも何か引かれるものがありましたね。面白いな、はみ出してるなって。まあ私は学校行くのやめようなんて思ったことはないんですが。」
さらに彼女は続ける。
「ファーストアルバムを聞いたときは何かこう、すごく共感しましたね。う〜ん、そのときは思わなかったけど代弁者ってやつですね。15の夜なんてちょうど(自分自身が)そのくらいの年だったから本当にはまりました。だからといって家出しようとかバイク盗もうとかって思ったわけじゃないのですが。普通の中学生でしたし。だけどなんかこう この生活で面白いのかなって思っていたことは確かなんじゃないかと思います。」
尾崎は彼女たちの代弁者だったのだ。物質的享楽を楽しみつづける時代の寵児たちへの反逆者だった。その態度は大人たちから見れば「ふまじめ」な内容を「まじめ」に語っていた。それはこの時代ではもっとも「ださい」行為であったはずだが多くの若者を熱狂させたのだ。そのねじれとも捉えられうるずれは何から起こっているのだろうか。
彼女との会話は続く。
「そんなこんなで別に普通に高校生になりましたね。そしたら学校がやたらピリピリしてましたね。荒れる学校とかで先生が何とかしよう、押さえ込もうって必死でしたね。それこそものさしもって校門の前に先生がいるとか朝のチャイムと共に校門しめちゃうとか。そこら辺からもう学校がいやになりましたね。それで中学校のときはなんとなくだったのに高校なったら尾崎〜って感じですね。あぁ、私にも尾崎の気持ちが本当に理解できたんだなって。中学までは別にそれほど管理されている気はなかったけどもう高校では爆発。本当にひどいものでした。尾崎もこんなこと考えてたのかなって思ったりして何とか紛らわせてましたね。」
80年代日本はその解放的繁栄の影にさまざまな抑圧がうずくまっていた。すべてが意味なき記号となり世界にあふれ出す。数えきらない数の横文字のブランド、軽い感じのヤツらが豪遊する姿。企業を見てもバカみたいに不動産に手を出し続ける。先祖が土地さえ持ってればそれだけで莫大な財を築けてしまう。それがまるで永遠に続くかのように錯覚しながら。そのような現状を見せられていながら「いま真面目に勉強したら」みたいな言葉をどの子供が信じるだろうか。飼いならそうとしている先生や大人たちも浮かれ行く日々を満喫していたのだ。例えば横文字の化粧品を次から次へと使っていたではないか。一方で時代特有の快楽を享受し他方で子供たちを縛り付ける。それで反抗しない子供はむしろ問題があるくらいではなかろうか。彼女の尾崎への傾倒は決定的なものへとなっていく。


3rd chapter―潜熱と物質 そして依存―

「結局高校まで出て働き始めました。そこでもなんかもやもやしてましたね。みんな自分の自慢ばっかりみたいな。やっぱりまだ浮ついていましたね、みんな。それで対して実力もないくせに成りあがれるってみんな考えてたかも。言われてみると三高なんて言葉もあったわね。あれもやっぱりバブルの影響なのかな。」
彼女は就職の後も「大人」たちに苛立ちを覚えた。浮つき戯れる大人たちを。しかし私は少し「ずれ」を感じ始めていた。尾崎は10代に立て続けに3枚のアルバムを発売した。その中で最後のタイトルは「壊れた扉から」であった。尾崎は己の前に立ちはだかる壁を壊そうという歌を歌ってきた。扉があれば蹴破ると思われた。しかし扉は壊れていたのだ。すでに壊れていたのだ。その変化は確実に尾崎を襲っていたと思われる。そして間違いなく苦しめていたはずだ。しかしそのようなことを彼女は考えていない。変わりなく現存する扉の存在を信じている。
彼女はのってきた。さらに話は続く。
「それに一番嫌だったのはみんな大学でてることだったかな。女子でも私の世代あたりから爆発的に進学率が上がったと思うんですよ。結局4年間遊ぶだけでしょうけどね。けど、やっぱり大学出てたら待遇が違うわけですよね。仕事できるかどうかなんて関係ないのに。それに女の子も何でか高学歴好きでしたよね。それに男の子もなんかでた大学の自慢話ばっかだった気がしますね。今風で言うなら合コンとかでも相手はどこでてどこに勤めてるとかばっかで。東大だ早稲田だ立教だってね。本当にうれしそうに披露するわけ。もうどうでもいいことなのに。いい大学でたからって何にもならないのに。大学が何だって言うのよ。」

「けど須藤さん(ソニー時代に尾崎豊をプロデュースした。尾崎のよき理解であり、疑心暗鬼に陥っていく尾崎自身も最後まで信頼していたようだ。)は東大でてますよ。」
初めて私が大きく介入する。いじわるな質問だと思いつつ。
しばし沈黙が続く。私はちょっとした反論を期待していたのだが。怒られてもいいかとも思ったのだが。 五月晴れの中、吹き抜ける丘陵の風は生暖かい。
もちろん沈黙しているとはいえ彼女の言わんとしていることは私にもわかる。どんなに学校の勉強ができてもそれが人間の評価としては極々限られた一面に過ぎないと思っていたのだろう。また彼女はそうは考えていないだろうが、もう一歩踏み込んでいうと学歴自体大量消費社会の記号以上の何物でもなかった。しかし その一方で彼女の言葉が尾崎豊に心を寄せるファンの弱さにも思えてならなかった。いや、それは確信に変わっていた。それは「感受性」が高いことだ。敏感に「世界」を感じるふりをする感受性が強いのだ。学歴がすべてではない、みたいな言説はもう使い古された言葉だ。それはいくら使い古されようが少なからず真実である。しかし それを口にする多くの人間は己の感情浄化のためにそれを如実に感じたふりをしているだけではなかろうか。それは学歴の話ばかりではない。むしろ彼女の学歴発言だけを字面通りに受け取れば ことを矮小化させかねない。その感じたフリは尾崎豊に対する想いを通じて彼女自身に表象するものすべてに当てはまる。「代弁者」尾崎に強く、強く「共感」を覚えること−その「共感」は「意味」を求め続けた尾崎を、意味ではなく今を生きる「知恵」で迎え入れる行為ではなかろうか。つまり意味を求める詞に「共感」することにより自らも意味を探求しようとしたわけではなく、今いきていることに張り合いを持たせる「テンション」だったのではなかろうか。さらにそれは己に直接「自己肯定」という形で目に見えて利益を返してくれる。よって彼女にとって尾崎とは代替可能性すらあったのではとさえ思う。彼女は別に大人への反抗者なら誰でも良かったのではなかろうか。それに自己を投影しテンションを得つつ肯定される自分を確認しさえすれば。彼女は「ジャンヌダルク」がいればよかったのだ。いや、先導者(扇動者)でなくてもいい。彼女の傷を癒し、彼女自身を肯定してくれる男性が一人いただけで変わったかもしれない。

私は次の言葉を欲していた。いま考えていることを簡潔に、そして途轍もなく婉曲に表象された言葉を欲していた。
「浜田省吾じゃだめなのですか?」
悪くはないフリだと思った。しかしこの程度が精一杯だったとも言える。
「う〜ん・・・なんとなくね。見た目もやっぱりあるかな。」
それが答えだった。私が想像していたものと同じであった。その答えは私に大いなる確信をもたらした。尾崎は、鏡だ。思うが侭に自己を映してくれる鏡に過ぎない。皆の鏡だ。思うように映ってくれる代替可能な鏡なのだ。 君は何を想い 今、この地に眠る

 最後にもう一つだけ私は尋ねた。彼の歌はやっぱり初期のころがいいのかと。
「そうですね。別に後期の歌が嫌いというわけじゃないのですが総合的にはやっぱり前期の方が好きですね。後のほうはちょっとわかりづらいですよね。それに勢いなく迷っている感じがあるというか。」
迷い 尾崎豊の20代は迷いであった。10代の頃はわかりやすい反抗の象徴である大人があった。しかし自らも「大人」になっていく過程で彼は言葉を失いつつあった。挙げた拳を落とす場所を探していた。そのときの詞は直接的に表象される要素が少ないので人気は出づらいかもしれない。しかしそれも含めていまを語ろうとする言説は本来みなが通る道ではないか。そのわかりにくさも含めて感じることが成長の証なのではなかろうか。その前提にたつと彼女の言い分は幼く思えてしまう。


80年代、日本は驚異的な経済成長を見せた。そのありさまは「世界の奇跡」ともてはやされた。日本が世界の中心になると本気で思っていた知識人もそう少なくはなかった。そのような異常な好景気の下で当然のように大量消費社会は押し寄せてきた。その一つ一つのファクターは流れ行く日々の中で同様に激流となり流されていくだけであった―ほんの一瞬だけ我々の前をきらびやかに通過して。もっとわかりやすく言おう。すべてがいま一瞬だけ閃光を放つとすぐに過去のものとなる大量消費社会の到来だ。ブランド物を皆がこぞって買い、ハイティーンアイドルがもてはやされた。ネアカ、ぶりっ子なる言葉まで出てきた。しかしどれも永続性は一切ない。すべてが代替可能なのだ。そのような社会にあって尾崎の言説は時代から排除されてもおかしくないものであったはずだ。しかし彼は「伝説」となった。彼は浮ついた時代の人々に受けた。しかし、だがらといって彼の「反抗」がそのまま受け入れられたと考えるのは、正直難しい。多くのファンは彼を通してカタルシスを感じていただけであろう。その安心感も所詮 記号の産物だったのだ。彼を受け入れた人々も多くは彼が非難したものたちと同類だったのだ。残念なこと、といっていいかどうかわからないが、そうであったことは間違いない。


Final chapter−岐路〜選択なき「選択」―

 時代の影響という束縛のみが存在する状態ですら自由でないと定義するならば、この世に「支配からの卒業」はない。しかし、それでも―いやそれだからこそ―尾崎は”confession for exist”(彼のラストアルバムのタイトル 死後に発売された)をしていく決意を晩年に固めていた。しかしそれはなされることがないまま尾崎は人生の舞台から転げ落ちた。


 唐突だが最後に一つ付け加えよう。いま日本は空前の韓国ドラマブームだ。冬のソナタ主演のペ・ヨンジャン氏は「ヨン様」の愛称で本国以上に人気者である。日本では久しく見なくなった純愛ストーリーに優しい笑顔の中に確固たる「意味」をもつ主人公。それが人気の秘密だろうと私は思う。雑誌にもよく登場している。しかし「ヨン様」が取り上げられる雑誌はnon-noやJJばかりか oggiまで年齢層を上げてもまだ出てこない。出てくるのは週間女性、女性セブンあたりだ。その読者の多くは30台中頃前後であろう。確かに空港などで「ヨン様!」と叫んでいる方々はほとんどがその年代だ。1960年代後半から70年代前半生まれ、つまり彼女たちは尾崎豊に熱狂した世代なのだ。尾崎豊に注ぎ込んだ「意味」への情熱を今も捨てられずに(傍からみれば)この年になってまで隣国のスターに求めているように思えてならない。やはりわかりやすい対抗軸を作り「意味」を求める生き方を捨てられずにいる人は未だ多くいる。その多くが意味なき記号に陥っているなぞとは思いもせずに。


事後談
まずはじめに断っておきますとこの文で解き放たれた剣の半分は私に向けられたものです。
それにより免罪を欲しているわけではありません。
その刃の一身は私の中に今も存在し、時に顕在化してしまうことを伝えたかったのみです。


意味を求めず始めから強度に生きるのか。意味を求めて「バカ」らしく生きるのか。意味を求めてカタルシスに陥るのか。他の選択肢を選ぶのか。
この選択肢にどのように優劣をつければいいのかはまだわかりません。


さて何故、私が尾崎豊を選んだのかといいますと80年代を語るファクターとして彼を選びました。例えば1960年からの私の頭の中にある流れは 優等生闘争の60年安保→ベトナム戦争→70年安保→虚無感、ヒッピー→奇跡の成長、記号化→グローバル化、ロストディケード→団塊の世代の定年と、その子供であるバブル世代の中心的生産世代化などと勝手にイメージしています。
その中で「奇跡の成長と記号化」の時代の一つのファクターとして彼を取り上げました。
つまり尾崎を通して時代を少しでも語りたかったのです。時代、社会を語ることができればそれが力となりうる。無限波及効果の第一波にもなりうる。そう「夢見る」私も「尾崎的」なだけなのかもしれません。

参考文献
西口徹(編集人)「文芸別冊 尾崎豊」2001年 河出書房
吉岡忍「放熱の行方」2001年 講談社

参考CD
尾崎豊「十七歳の地図 SEVENTEEN’S MAP」1983年 ソニーレコード
   「回帰線 TROPIC OF GRADUATION」1985年 ソニーレコード
   「壊れた扉から THROUGH THE BROKEN DOOR」1985年 ソニーレコード
   「街路樹」1988年 イーストウエストジャパン
   「誕生 BIRTH」1990年 ソニーレコード
   「放熱への証 CONFESSION FOR EXIST」1992年 ソニーレコード

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